如意輪観音の顔は長谷観音とそっくり | 民営文化センター

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever


長谷観音と如意輪観音





観光案内では、長谷寺の現在の観音様が作られたのは室町時代とありますが、これは全くの大嘘で、517年に作られたオリジナルです。




白村江の戦いの後、倭国九州王朝は唐に占領されるのですが、引き続き(唐の)ジャパンハンドラーズの指導のもと、大和朝廷は東北も含めて日本全体を乗っ取ります。




この一連の流れとして三瀬村に在った長谷寺は観音様とともに大和に移築されます。




ちなみに大宰府の観世音寺は移築されて法隆寺に化けています。




この様な後ろめたい秘密を抱えているため、本来なら世界に大いに誇って自慢すべき仏像の起源が今になっても公開出来ないのです。




近鉄長谷寺駅に特急が停車しないのも同根です(くどいようですが何度でも言います)。




長谷観音(517)と如意輪観音(539)は年代も近く、顔の作りもほとんど同じなのは、同じ工房で作られている証しです。




倭国石山寺には石仏もありましたが、それらは唐軍が持ち去り、残り物の中にあったのが、この如意輪観音というわけです。




大宰府が首都である普遍国家が丸ごと消滅したこの事実を米田氏は“東アジアの悲劇”と呼んだのです。




国家は消滅したのですが、阿弥陀如来とも称せられた倭国王イワイらの影響力は今も我々に及んでおり、世界から賞賛される行いの中に散見されます。




歴史は繰り返されると言いますが、再びこの国を消滅させたいと考えている輩の企みは今回の選挙 でさらに明らかとなりました。




今後、企みは失敗に終わり、純粋でない日本人がどんどん炙り出されることでしょう。