佐賀県三瀬村に嘗てあった倭国長谷寺の敷地内を初瀬川が蛇行して流れています(移築後の大和長谷寺では初瀬川と見立てられた小川が寺の敷地外を流れています)。
杉神社から三門に向かう時に渡る上久保橋という名のコンクリート製の橋ですが、当時の橋もこの位置だったのでしょう。
『枕草子』に「橋は」という章があるのですが「上久保橋」は出てきません。
ネットで検索したのですが、同名の橋は全国に複数あることから由緒ある名称なのでしょうが、三瀬村の上久保橋については作り変え案が出ているという記事だけです。
その場合、古式にのっとったデザインになれば夢のある話だと思うのですが、倭国長谷寺の存在がまだ認知されていない現状では田んぼの中の欄干付きの赤い橋では意味不明となり理解が得られないでしょう。