2015年10月5日の当ブログ 善正寺の石垣
の続きです。
この畑の上に三門が建っていました。
ここからスタートし竹林を超え、本堂のある右手の丘に向かって回廊が伸びていました。
杉神社を出て農道を北上、西方向にカーブし、初瀬川に架かる上久保橋を渡って坂道を上ると、右手にやや小さめの丸い石を積み上げた石垣が現れます。
石垣の上は現在 畑なのですが、そこに倭国の時代、長谷寺の三門が建っていたと米田良三氏は結論しました。
畑を少し深く掘れば、根石くらいは見つかるかもしれません。
石垣の造られた年代を知る方法は分かりませんが、倭国の時代、石造文化は想像をはるかに超えたレベルだったそうですので、この程度の石垣を組むくらいは朝飯前だったのでしょう。
BSの旅番組でイタリアにあるローマ帝国時代の石垣の説明をしていた
のですが、見た感じでは似たり寄ったりでした。
もう少し地元の人たちが燃えてくれるといいのですが・・・・・