USBを整理していたところ、米田良三氏の未掲載原稿を見つけましたので一部を掲載します。
少々クドイようですが、今回も「移築」のお話です。
日本各地にあった明治期を中心とした建物で、壊してしまうのにはもったいないものが解体され運ばれて、元の姿に再建されている。
建物の博物館である特殊な公園で、昭和四十年頃から移築が行われている。
驚かれると思うが、同様に奈良斑鳩(いかるが)の法隆寺も移築された建物である。
710年に出来上がるが、何と607年に筑紫に観世音寺として造られた建物で、新築ではない。
1991年『法隆寺は移築された』(新泉社)を発表して十七年が経つ。
法隆寺解体修理報告書の詳細な検討から導き出した結論である。
五重塔天井格子の落書き「六月肺出」が617年のハレー彗星出現の記録であることを周期から導き出せたことがポイントである。
以来法隆寺は新築されたのでなく、移築であることに異論を聞くことはない。
が、しかし観世音寺からの移築であることには拒否反応を示す人が少なくない。(以下略)
また同氏は『東アジアの悲劇』のなかで「実は法隆寺が移築された建物であることを認めるだけで、論理的に日本の歴史はひっくり返ってしまうのですが、そのことは別の機会に述べることにし、話を進めます。」と言っています。
いずれにせよ、聖徳太子神話は崩壊したのです。
聖徳太子について大真面目に従来どおり論じている歴史書は、総て存在している意味がなくなったのです。
そんな訳で、歴史にしろ、建築にしろ、学会は不気味な沈黙を守っているのです。
内部から手を挙げれば、その人は研究者生命を絶たれることになるわけですので、話題にすることすら憚られるのです。
しかし、近々起こる世界の激変に伴い日本も変わりますので、その時トップランナーに躍り出るチャンスがあります。