講演会の折、安保 徹先生に米田良三 著『現代を解く・長谷寺考』を差し上げました。写真通りの人で、例の青森アクセントで「こうゆう本、僕、好きなんだぁー」とニッコリ言われました。その後、即、反応があり、読んでいただけたと思いきや、『日本のルーツは飛騨』と言う冊子が同封されていました。
安保 徹先生 講演会
https://www.youtube.com/watch?v=xZFlqhh4ueg
特に古代史では各人各様、勝手な説を断定気味に主張するのが常です。「~だと思う」では負けてしまうのです。「米田説も同じ穴の狢」じゃないかと云われれば、ひとまず認めざるを得ませんが、その一方で、真実を追求する自由をみすみす放棄している人たちがいます。「何とか考古学研究所」とやらが発掘直後に現地説明会を開くと、ワーッと集まって御高説にひれ伏す人たちのことです。「歴史B層」と命名したくなります。
米田氏が「法隆寺移築説」を提示するまでもなく、戦前から行われた法隆寺の解体修理中、部材の風化の具合からプロの大工たちは「移築である」ことは分かりきっていたはずですが、それを口外することは出来なかったのです。西岡常一氏は米田氏への私信ではっきり「移築」と認めています。唯一の内弟子である小川三夫氏の眼だって節穴ではありません。
小川三夫氏画像