何度でも言わせてもらいます。現在の大和長谷寺の建物が世界で一番古い木造建築です。法隆寺は移築の際、もたついたので、材木が真っ黒けになっただけなんです。517年創建の建物が現存していては困る奴等がいるのです。パンフレットの解説はまるで御伽噺です。
前回からの続き
当初、大和朝廷は数件の移築を計画したようだ。一つは斑鳩の法隆寺で、観世音寺の中心伽藍を用いて、観世音寺の伽藍配置と異なる伽藍配置の寺を造ることを計画した。二つ目は後の平城京の薬師寺で、条坊に矩形の左右対称である伽藍を計画し、宇佐の霊山の三重塔を移築して東塔とし、金堂に薬師三尊(霊山の阿弥陀坐像と二王子立像)を安置する計画である。三つ目は奈良の長谷寺で、九州の初瀬の大悲殿と長谷観音を解体移築して、山の中腹に大悲殿を造り、長谷観音を安置する計画で、創建長谷寺の特徴であった長い水平な回廊を、山の中腹に登る階段・登廊に変えた。四つ目は奈良東大寺で、宇佐の東大寺大仏殿と阿弥陀大仏を移築・移動して、間口の小さい大仏殿とし、上半身を鋳直して盧舎那大仏とする計画である。(続く)