米田建築史学のエッセンス No.9 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

前回からの続き



しかし白鳳地震によって扶桑国時代に造られた寺院や建物の多くが倒壊し、当初の計画を進めることに加え、九州の多くの建物を移築することとなった。その結果、700年頃の筑紫は何もない状態になったのである。(完)




九州に、やたら廃寺が多い理由がお分かりでしょうか。





この素晴らしい国の歴史や文化を嫉んで火を放つ者が現れんとも限りません。油をかけるのはその予行演習かもしれません。みんなで注意しましょう。



以下の動画が参考になります。

http://junchan2461.at.webry.info/201505/article_22.html




今回でこの9回シリーズは終わりです。



落ちぶれたとはいえ、現在でも日本人の評価が高いのは倭国時代のトップがすばらしかったからです。そのトップとは阿弥陀如来と見做された倭国王・倭薈と聖徳太子のモデルとされた上宮王の二人です。