米田建築史学のエッセンス No.6 | 民営文化センター

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

前回からの続き


 


664年唐軍は筑紫京に進駐し、日本国王室は潰れる。城壁を解体して、水城と呼ばれる土塁に変えたことに象徴されるように、人・文物・建物(事前に唐と扶桑国の分け前は決めていたと思われる)を略奪し、672年五月に唐軍は撤退した。672年六月扶桑国軍(大和朝廷)が筑紫京に進駐し、同様に略奪した宝物は現在正倉院にある御物であるが、唐軍が持っていったものに比べると劣る。同様に唐軍が解体して持って行った石山寺は石造であり、大和朝廷が移築しようとした観世音寺は木造で質的に異なる。

(続く)


 


http://chimei.sakura.ne.jp/f-24dazaifu.htm