米田建築史学のエッセンス No.4 | 民営文化センター

民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever



画面手前が南大門の在った所、奥に東大寺伽藍がありました。現在は田圃になっております。ボーリング調査をやったら、日本の歴史がひっくり返る面白い結果がでると思います。




前回からの続き



535年に起こった複数の奇跡を経て、奈良帝は阿弥陀如来と看做され、奈良帝を慕う形で阿弥陀信仰が発生する。宇佐東大寺に阿弥陀大仏を鋳造し、570年には金光明四天王護国之寺が落成する。また並行して諸国に国分寺・国分尼寺が造られ、阿弥陀信仰は隆盛を極める。観音信仰・阿弥陀信仰と東アジアの国々に教えは広まってゆく。その後、阿弥陀信仰は宗教者のための信仰、原理主義の傾向が強くなり、問題が発生したと思われる。598年、上宮王は法華勝鬘等経を説かれる。その在家仏教を主体とした法華経的価値観を具現化した観世音寺を607年に造る。主仏は釈迦如来である。落成に合わせ、500年以降百年以上続いた新羅の占領と、534年以降の扶桑国への監視の終了を決め、618年の観世音寺の落成式紅葉賀が行われた。(続く)