東大寺南大門は数ある寺院建築の中でも異彩を放っている。間近に接した人は、その建物の発するオーラに圧倒される。その建築様式については、昔は天笠様とか云っていたが、近頃は大仏様(だいぶつよう)と云われる。どんな議論の末に呼称が変わったのか知りたい所だ。
南大門は1199年(鎌倉時代)に重源が再建したとされるが、定説を鵜呑みにしてよいのだろうか?あの風化の度合いはハンパでない。ちなみに法華堂(三月堂)は天平時代のお堂に南大門と同時期、増築されたと云うが、風化の程度は他の寺院と違わない。南大門は、その三月堂の風化をはるかに上まわっており、この点に関して誰も疑問を持たないことが不思議でならない。
米田説では、南大門の創建は定説より何と約700年古い。私はそれが建っていたとされる宇佐の小倉山の南を2007年に訪れた。伽藍と思しき所を発掘すれば、世界をアッと驚かせる結果が出るものと期待している。