全国にあまたある古代史の研究グループの中でも古田武彦氏の率いる「九州王朝」を唱える人たちの集まりはその規模、内容からして影響力があると思われるが、アカデミズムは全く彼らを無視、今のところ安泰と高を括っているが、本当は怖くて仕方がないであろう。密かに「トロイの木馬」を送り込んでいるようだ。
邪馬台国「九州説」VS「畿内説」の争いは今まで両派を争わせておけばアカデミズムは安泰と思っていたようだが、いよいよ強引に「畿内説」定着させたいようだ。アカデミズムは定説を守ることが仕事、アマチュアはひっくり返すのが喜びであるが、両者の戦いはいよいよ大詰めである。法隆寺も「新築説」、「再建説」に新たに「移築説」が加わり、この期に及んで学者の中には観念したのか「移築説」は認めるが観世音寺からではないと往生際の悪いことを言っている者もいる。つまり、いつまでたっても真実を追求しようという気迫が感じられない。「移築説」を認めてしまえば日本の歴史は音をたてて崩れてしまうのであるから無理もない。全国の書店に並んでいる歴史書の90パーセント以上が全て無意味になってしまうのである。
米田氏は『続 法隆寺は移築された』の中で次のように述べているので勝敗は明らかであろう。
法隆寺移築説(1989年)を唱えてまる12年が経つ。建築史学会の重鎮には当然読んでいただいたが、極端な内容であるためか、まともな反応は貰えずにいる。奈良の薬師寺の工事事務所に西岡常一氏を訪ね、解体修理工事の時の話を聞けたのは幸いだった。めずらしい人に会うからと、その場に今の建築学会長の仙田満 氏を誘ったことが思い出となった。そのためか、細かな部分の質問には丁寧に答えてもらったが、移築を示す内容は何もないの一点張りであった。しばらくして、移築を認める内容の手紙をいただいたのはその償いかも知れない。その後、太田博太郎氏のご教示で解体修理工事の責任者であった浅野清 氏に会って話を聞いた。前もって送っておいた本を読んでくれていることは、質問に対する答えから分かったが、まだ読んでいないと言い続けられた。肝心の話は西岡氏と同じで、移築を示す内容は何もないの一点張りであったのは正直に言って驚きであった。