米田良三氏との出会い 2 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever


トンネルを抜けたら三瀬村


 2006年の秋に長谷山観音寺の跡地を訪れ、倭国長谷寺についてのヒントを掴もうとした。その時撮った景色の中に、後になって突き止めた長谷寺がかつてあったエリアが偶然写っていた。その2年後、米田氏と博多で落ち合い、三瀬村を訪れ、建築のプロの鋭い眼力を目の当たりにし、倭国時代の長谷寺の全貌を確信した。その前日の晩、二日市の宿で夕食をご一緒し、初対面にもかかわらず話題はまったく尽きることはなかった。賀茂真淵と本居宣長の「松阪の一夜」を髣髴とさせる出来事であった。
 

 その後も何とかして一般受けする本を作りたい一心で改善を重ね『続 法隆寺は移築された』が出来上がった。PCの扱いが未熟なため見栄えがしないが、内容的には一~四書の総括がうまく出来たと考えたい。さらに断続的に米田氏から原稿が届き、二人だけの電話・FAX編集会議が続き、『現代を解く・長谷寺考』『日本国王室全滅亡 東アジアの悲劇』が出来上がり、まだ誰も唱えていない驚くべき説がまとまりよく発表されることとなった。これらの私家・試作版三書についてはAB&JC PRESSのホームページに載っているのだが、ブレークはまだ先のようだ。覚醒とはこんなにも遅いのかと歯がゆい思いである。