「法隆寺移築説」に魅了された後の展開はまったく予想外のものだった。人並み以上の建築マニアを自負する私は第二書『「建築から古代を解く」法隆寺・三十三間堂の謎
』も読みたくなり、出版元に尋ねるも在庫はなし。今ならアマゾン経由ということになろうが、なんと米田氏に直接ファックスを送り譲ってもらった。その後、疑問点などを質問したりしたが、米田氏には優しく応えていただいた。第一書、二書の影響をもろに受け、法隆寺、観世音寺を妻とともに訪れた。太宰府の旅は興奮の連続であったが、定説を好む妻は私に対してブレーキ役でしかなかった。第三書『「列島合体から倭国を論ず」地震論から吉野ヶ里論へ
』では古代からの博多の変遷ならびにその分析・考察に感銘し、第四書『「逆賊磐井は国父倭薈だ」薬師寺・長谷寺・東大寺
』では長谷寺の倭国時代の所在地を突き止めたい衝動に駆られた。このような発揚した精神状態の最中に米田氏から電話があり、建築雑誌に連載した「地震と建築と」というタイトルの原稿を出版社に持ち込んだが相手にしてくれない、何とかならないかとのこと。やっとPCを使い始めた頃ではあったが、まずは建築と並んで編集が趣味である私が本にまとめようということになった。世界で一番早く米田氏のまとまった原稿を読むことが出来る喜びは例えようもないものであった。苦労の甲斐あって一応、本の形にはなったものの、歴史と建築の話の組み合わせでは万人向けとは言いがたく、手作り本『地震と建築と』は不評であった。