法隆寺の東大門と東大寺の転害門 | 民営文化センター

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法隆寺の西院伽藍から夢殿へ行く途中にある東大門はアカデミズムも移築であることを正式に認めている。観世音寺古図に描かれる三十三間堂の北に位置する門が東大門の移築前の姿だと思うのだが、それを認める人は殆んどいない。伽藍全体の移築を認めることになってしまうからだ。


2015228日付け「日本経済新聞」に宮大工の小川三夫氏へのインタビュー記事があり、その中で彼は「俺が一番好きなのは東大寺の転害門」と発言している。この門は国宝にしては珍しく民家に近く、すぐ傍を車道が通っている。遠くからでも大きく立派に見え、存在感のある門である。これも倭国の時代に宇佐にあったものであろう。巻尺を当てて倭国のものさしで造られているのか調べてみたいものだ。宇佐500年代の東大寺の建築関係者の中に柿本人麿がいたことを小川氏が知ったらなんと言うのか興味深い。