ボランティア・プロレス大会③ 雀幸園に“死神さん”コール大爆発‼ | プロレス表舞台の放浪記

プロレス表舞台の放浪記

一プロレス・ファンから、電子書籍『プロレス表舞台』を立ち上げた斉藤雅治が、プロレスと関わった日々を想いのまま、書き綴る。

 

 これまで、2回に渡って紹介してきた児童養護施設「雀幸園」にて13日に開催された、ボランティア・プロレスのイベントも、いよいよ今回が大詰め。上州プロレスのメインイベントに、いよいよ雀幸園のヒーロー死神選手の登場だ。

 

 死神選手と言えば、「プロレス表舞台」の読者なら、ご存じの通り、泣く子も黙る怪奇派レスラー、区分けで言えばヒールであるが、ここ雀幸園においては、子供たち最大のヒーローである。

 この事は、単に表面上の薄っぺらなものではなく、昨日もお伝えした通り、死神選手が20年以上に渡り雀幸園の為に尽くし続けた実績があっての事である。

 雀幸園の決まりでは、子供は18歳で卒園しなければならないそうで、つまり、死神は、在園の子供たちが入園する前から活動を継続していたこととなる。

 子供たちも、敏感であり、死神が心底子供たちのために頑張ってきた姿を感じとってのものであろう。

 

 死神選手は、ここ雀幸園の子供たちの間では、関本大介、大仁田厚、はたまたアンダテイカー以上のヒーローなのだ。

 

 以前、4代目タイガーマスクが雀幸園でトークイベントを行った際には「死神さんと、タイガーマスクが闘ったらどちらが勝つか」の質問に、子供たちは、身体の大きい死神選手の勝利を信じて疑わなかったそうである。

 

話が横道に反れてしまったが、メインイベント6人タッグがスタート。

試合開始と同時に6人がリング内、場外で入り乱れ波乱のスタート。

死神と山田マンポンド、大型日本人同士のど迫力のぶつかり合い。死神のピンチに、子供たちからは、必死な「死神さん」コールが沸き上がる。死神のうえに、更に、さん付け、ヒールの死神を知るものにとっては、何とも不思議な世界だ。

レフェリーのガンダーラ鈴木は、ヒールである死神に肩入れしたレフェリング。死神が山田マンポンドを押さえたところへ、ガンダーラが謎の白いパウダーを投げつけたが、山田が寸ででかわし・・・

 視界を失った死神は、ガンダーラにアイアンクローを仕掛けてしまい、反則負け。

 この結果は、子供たちによく伝わらなかったようで「よくわからない。」の不満の声。

山田がマイクを握り「死神はヒールであり、世の中でも、悪い事をすると、いいようにはならないんだよ。」と説明した。

 

 この大会を見て、強く感じたのは、子供たちの純真な素直さだ。

好きなものは好き、面白いものは素直に反応、よく分からないものは、分からない。

 私も、幼少期に見た、素直に面白いと思ったプロレスを思い出す。大人になるにつれ、薄れていくと共に、うがった見方をするようになってきたが、幸園の子供たちが、あの時の感動を思い出させてくれたような気がした。

最後はノーサイド、ヒールもベビーも、この日、幸園の為に闘ったレスラー全員の勝利であった。

 

<上州プロレス 第2試合 メインイベント 6人タッグマッチ>

唯我、ノコギリ男、●死神

 死神がレフェリーにアイアンクロー⇒反則

日向小陽、○山田マンポンド、田馬場

 

 プロレスを中心とした第1部が終了後は、同じ講堂で、リング撤去後に、落語、歌、くじ引き等の第2部へと雪崩れ込む。

唯我選手は、落語の披露。力のこもった迫真の大熱演に子供たちも大爆笑。

演歌歌手・恵子さんの歌に合わせ、浪岡さんのスコップ三味線。

落語、歌など、鑑賞するレスラーの面々。セブンとパンディータ、その耳をかじる、仮面レスラーアマゾンとSAKURA。その左後ろは山田マンポンド。STAR WARSのストームトルーパーがそれを見守る。

 

 午後1時にスタートしたイベントも、第2部を終えた後は、子供たちとレスラー達とが6名づつ組みとなり、各部屋に別れ、園が準備したカレーライスのおもてなしを受ける。

 私も、ご一緒させて頂くことになり、ガンダーラと山田マンポンド、子供2名、先生1名と一緒に、美味しいカレーを頂いた。

 子供たちの話を聞いていて感じたのは、思っていた以上に、どの子も生き生きとしていることである。

 

 雀幸園に入園したのは、どんな事情があったのかは知らない。心の奥底で秘めたる思いもあるのかもしれない。しかし、そんなことは、ミジンにも出さず、明るく話し、寧ろ、私たちを楽しませてくれ、元気を頂いた。そして、プロレスの事もよく知っているようであった。

 死神選手は勿論だが、大仁田さんや、ZERO1の大谷晋司郎さんの事もよく知っているのは驚いた。

 

 埼玉の外れの熊谷、更に、その熊谷駅からも遠く離れた雀幸園の周りには、娯楽施設もほとんどなく、それ故、毎年恒例となった、このファイトゲームピース主催のボランティア・プロレスが担った役割は大きいようだ。

 何故に熊谷と最初は思ったが、熊谷だからこそ、こういったイベントの意義が大きいと言えるのだ。

 

 早朝に家を出発し熊谷へ、そして午後1時にスタートしたイベントもカレーを食べ終わった頃にはすっかり夜になった。

 帰りは、レスラーの車に同乗させて頂き、草加まで送って頂き、東京の自宅に戻った頃には、すっかり真夜中、長~い一日が終わりました。

 

 

どくしゃになってね!

 

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