Quo Vadis 3 | Nagoya Double-Reed Ensemble

Quo Vadis (クオ・ウァーディス3)


 みなさんこんばんは、本格的に寒くなってきてましたがいかがおすごしでしょうか。わたくしだーいしは近況を報告したいところなのですがちょっとバタバタ、かつヘロヘロになっておりまして、ニョロニョロ日記はまたの機会にで勘弁してください(なぜならこのアメブロは画像を載せるのが最近面倒くさくなり、写真をたくさんアップロードする前に心が折れるからだ)


 さて、以前「高校の時楽器をはじめ、なぜ音楽の道に進もうと思ったのか」についてずいぶん以前の記事Quo Vadis1」「Quo Vadis2」、それに「逃避、すなわちニョロニョロ」で途中までお話しましたが、今回重~い腰を上げ、その続編をついに書こうと思います、実に9ヶ月以上ぶり。連載作家だったらとっくの昔にクビですがな(笑)。で、あの、高校や大学の話が出てきますが、たいして面白くないので、時間の無駄かもと思ったら(特に期末テストの中高生さん)、最後まで読まず潔く閉じて、勉強か、モバゲしたほうが世のため人のため自分のためです。


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 以前どこまで話したかというと、部活でヘタ過ぎてレッスンに通うようになり、オーボエの先生(当団ダブルリードアンサンブルの山本先生)の美音を間近で聴いているうちに、だんだんやる気がでてきたというものです。

 ともあれ、漠然と音大に行きたいとは思ってたのですが、やる気がちょっと出てきた、が、直接の動機になったわけはありません。転機になったのは、ちょうどこの冬のこの時期、だーいしが高2の時に、アンサンブルコンテスト(以下アンコン)に木管五重奏で出ることになったのがきっかけです。


 木管五重奏はフルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットの5本による室内楽で、曲はパウル・ヒンデミット「小室内楽曲」の第5.第6楽章でした。
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こちら、顧問の先生がやれーと持ってきてくださったものでしたが、特にレッスンがあるわけでもなく、なぜこの曲を!?という説明も無かった気がします。実はその前の年のアンコン愛知県大会では、MD高校さんが「ダンツィ:管楽五重奏曲Bdur」TH高校さんが「イベール:3つの小品」を演奏しており、齧るように聴いていた高1だーいしは「う...うまい。同じ高校生なのに何て上手なんだ、しかも曲が素敵。」といたく感銘を受けていたのですが、まさか自分が木管五重奏をやるとは思ってもみませんでした。

 で、取り組むのですが、今までやってきた曲のどれとも似た感じがなく、ま、それは他の4人もそうだったのですが、音取りリズム読みの初歩段階から非常に苦労しました。あ、作品は傑作です。傑作なのは僕らヘッポコ高校生でも分かるくらいでしたが、どうやって取り組めば良いのか皆目分からなかったのです。

こちらその作品↓

しお

まちがえた。これは最近食べた塩ラーメン焼き飯セットでした。しかも写真横向きだし。

https://www.youtube.com/watch?v=x9NFFCuAGA4

↑こちらです。


 ヒンデミットはドイツロマン主義から脱却するひとつの回答として、「ノイエ・ザッハリヒカイト」と呼ばれるいわゆる新即物主義にカテゴライズされる作曲家で、拡張された調性とポリフォニックな構成が独特の作風を保っている...というのは、今だから理解できるのですが、もちろん高校生の時分にはナンノコッチャ的で分かりませんでした。で、なんとか地区大会を突破したわれわれ木管五重奏チームは元旦以外すべて、毎日学校へ練習しにいったのですが、イマイチ掴めないのですね。コンクールの時などはもちろん生徒もスコア片手にここがメロディ」「ここが刻み」「ここがベースライン」とか色分けをしてあたかも分かったつもりでいたのですが、この曲にはそんな手段は通じませんでした。なぜなら、まだ第2楽章などは

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これを(メロディ:赤)(合いの手:青)(ベースライン:緑)(はっきりわからんやつ:黒)

2

とすることも出来なくはないのですが、

自分達が取り組んだ第6楽章なんかは、下のような感じでして

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かろうじて4段目のホルンが皆と違う、伴奏?ということしか、恥ずかしながら分からなかったです(笑)。

あ、一番下の段の緑の音符は、5本の音を一段に集約したもので、これは今パソコンのソフトの機能でやってみましたが、もし当時これを見せられても全く分からなかったと思います(今見てもよく分からん)


 顧問の先生にこれをやりなさいと言われ、でもそれについて何ら指導をしてくれたわけでもなく、良い曲だと言うことは直感で分かるのに自分達でどう取り組めば良いのかすら分からない...。これが、「よし、これをちゃんと理解して演奏し、楽しめるために音大に行こう!」と思った、本当の動機です。そして「これをきちんと説明できるような演奏家か教師になりたい」と思ったのですね。今にして思えばあの時の放置プレイが実を結んだわけですが(笑)。

 そういえば、この時期、アンコンのレッスンにあちこち行くことがとても多いのですが、先生が曲を決めるだけ決めて、それについての生徒へのケアがほとんど出来ていないというケースを時々見かけます。言いにくいことですが、表向き「取り組みを生徒自身に任せる」というスタンス、でも、本当は先生自身が曲を理解できないんじゃないか?と思ってしまう場面に出くわすこともあります。ご自分が指揮を執らない曲には途端に関心が薄くなるのかも知れません。またアンサンブルは少人数なので、より、演奏する方は個々人の伎倆教える方は作品への理解の深さ端的に出ます。夏の合奏と違い、根性論や組織うんぬんではどうにもならないことがたくさんあるのは事実だと思います。


思わず吹奏楽界批判になっちゃいましたが、今言いたいのはそんなちっぽけなことでなく、当時高校生のだーいしとしては「とりあえず縦(タイミング)合わせろ」と言われるも、それは言われなくても分かる、練習しとるがね。問題はどうやったらこのシンコペーションだらけの曲を合わせられるか。それ以上に、このぶつかってるだらけの音はなんなんだ、ということでした。


 以前何かで読んだ音楽の漫画(素晴らしい漫画でしたがタイトルなんだっけ...)で、ピアノ界のプリンスのような貴公子に、やんちゃなヴァイオリンの若者「ヒンデミットの機能和声にたいするウェーベルンの反論をどう思うか」と問いかけ試そうとしたシーンがありました。
 えー、ヒンデミットの作風はパッと聞くと調が判別しにくいので無調にも聴こえるかもですが、彼自体はむしろ調(ハーモニー)にこだわってまして、あくまで調性音楽です。でもその理論が彼のユニーク過ぎる機能和声(普通のT,S,D,Tではなく、R,S,K1,K2という特異な序列によるハーモニー)なので、なかなかその後のフォロワーがおらず、孤高の地位を保っていると言えば良いが、若干マイナーな存在であることは間違いありません。


 大学に入っただーいし的には何とかその辺りを解明したく、3年生の時にあらためて木管五重奏のユニットを組み、取り組んだわけですがやっぱり分かりませんでした。いろいろな教授に見てもらい、質問しましたが「なんかグシャグシャグシャってなってるけど最後にきれいに終わってるのが,何しろヒンデミットだよ、そんなけ。」と言われ大変落胆した記憶があります。いや、あながち間違いではないんですけどね(笑)でも雑過ぎ。

 そんな折り、大学のときのオーボエの先生にも見ていただいたのですが、例のとこ

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がどう把握して良いのかどうしても分かりません、と聞いたところ

「ふーん。お前さ、そこはフレーズ構造を考えたら?」と言われました。

「つまりだ、ずっとぶつかってるか同じパターンかの和声だが、停滞せずに明らかに曲が動いてるわけだろ。ということはだ、ハーモニーでない要素に、それを解明できるポイントがあると狙いをつけるわけだ」

と言われ
「ホラこの12小節間は、古典的な作曲家なら4+4+4=12小節か、2+2+8=12小節という構造(ストラクチャー)を取る。でもよく見たら、これは3+3と2+2、最後に1+1という『サイクルが早まっていくストラクチャー』になっているわけだ。つまりだ、圧倒的に曲の緊張感が増していくわけだな

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と、スラスラと何年もの僕の「」を解明され、それに圧倒されたのを今でも鮮明に覚えています。


「せ、先生...」

「なんだ」

「どうしたら、僕は、先生のように、分かるようになれるのでしょうか」

「どうして、それに気づけんのか、不思議だ。普通見ればストラクチャーくらい分かるだろ。」


と言い放つと、風のように去って行かれました。

ガーン。。。


しかし、この時ほど、音大に行って良かった、先生に習ってて良かったと思えたことはありませんでした。


大学の先生から受けた目からウロコ、はこの時ばかりでなく、それは本当にいろいろあるのですが、たくさんありすぎて書ききれません。ともあれ、曲に対して多方面からアプローチする大切さを徹底して教え込まれました。プレーヤーは奏法論に終始する。アマチュアは曲の背景や作曲者など理論以外の話に熱中する。そして、学者は和声や対位法など理論に終始する。そんな中で、たくさんの引き出しを駆使していかに鋭く本質を見抜くか、それをどう演奏に繋げていくか、僕の生涯の課題だと思っています。


というわけで、最近また木管五重奏をはじめてまたヒンデミットをやってますが(我ながら本当にしつこいと思うw)、いつかその成果が現れるような公演がしたいと思っています。本日オチなし。