ブログをあまりに放置したため、またホームページにもアップされていないため、「今年はサマーコンサートあるのか!?」というお問い合わせをたくさんちょうだいしました。はい、もちろんございます。アップロードが遅くなりスミマソン。まことにご迷惑おかけしました。
公式ホームページに曲目など詳細が載ってございます。このURLをクリックしてくださいませ。
http://daburi.info/play/index.html#play160705
今年はオリンピックの開催年でもあります。オリンピックは世界最大のイベントとも言えるので、今年は「イベント」「テーマパーク」などにちなんだ曲をやります!オリンピックに関係する曲も、最近のはやりのオリンピックソングだけでなく、懐かしの名曲、あるいはたいへん昔のものまでさかのぼり、音楽を通して俯瞰できるような構成にしてあります。
こちら、初回練習時のおさしん。全体的にピンボケ...(笑)
サマーコンサートも13回になりますと、毎年何をやろうか頭を悩ませますが、わたくしだーいし的にはここ数年は自分的には
・同属アンサンブル(たとえば今回は弦楽合奏の曲)を編曲し、アンサンブルとして音色の統一を一層はかる。
・新曲を書き下ろし、ダブルリードアンサンブルのレパートリーをふやす。
・知られざる曲を発掘する。
というのに力を入れています。
7月5日(火)、名古屋市熱田文化小劇場で18:45開演です。例年通りリード販売(16時より)もあります。
メンバーは今一所懸命リードをつくっております。吹奏楽コンクール前にお気に入りの1本を是非ゲットしてくださいね。
ちなみにわたくしは今ここまでできました!
はい丸材ですがなにか(笑)、100%できてないというべきか、0%完成したと言うべきか。
いずれにしても、やべ~、絶対間に合わん(笑)。
それはともかく、ごぶさたしてます最近のニョロニョロ日記を。
5月中旬、吹奏楽の演奏会。指揮と吹き振りもする。
とても充実した良い演奏会で、打ち上げも終わり帰宅。
翌日、心地よい疲れとともにプログラムを見返してみたらコッペリアのところが
「バエレ音楽」になってて卒倒。ぼくちん校正段階で100回くらい目を通してチェックしたはずなのに...。
聴きに来た親に「バエレって、なんか新種の踊りかと思ったわ」とイヤミを言われしうりょう。
5月下旬
奈良で活躍していらっしゃるアマチュアダブルリードアンサンブルさん「NIMAI-JITA」さんが名古屋にいらっしゃるので懇親会。
こちらのNIMAI-JITAさんとは、楽譜のやり取りなどをしていたのですが、実際にお目にかかれたのは初めて。でも初対面とは思えないほど話が弾み、本当に楽しく過ごさせてもらいました☆ばんまず山本せんせの名フィルの演奏会と、翌日私のサロンコンサートも聴きにいらしてくださりありがたやー。なかなかこの規模のアンサンブルはプロアマ問わずないので、今後とも仲良く、どうぞよろしくお願いします。
6月上旬
大垣にあります大垣室内管弦楽団さんのエキストラにお邪魔し、なんと神、モーリス・ブルグさんのR.シュトラウスのコンチェルトの伴奏をさせてもらうというまたとない機会に恵まれる。
こちら本番直後のブルグ氏。今月78歳になるとお聴きしたが、まったく衰えをしらないテクニック(しかも暗譜)とあふれんばかりの音楽性に圧倒。
わたくし普段はわりと本番ステージでは冷静なほうなんですが、なんか今回は感無量になり、本番中何度か、嬉しくて涙をこみあげそうになるのを必死で抑えながらの演奏。ビロードのようなレガート、密やかで親密なピアニシモ、決然としたカデンツァ、、、。
この曲は最後の楽章に、ソロオーボエと、自分の担当するイングリッシュホルンがハモってシンクロするところがあるが、わたくしもう無我夢中で吹いた記憶しかない。でも本当に幸せな時間を過ごさせてもらえ、もったいなくもありがたいなあと。で、ソロよりは100倍簡単な伴奏なのに気力体力を使い果たし本番終わりフニャフニャに(笑)。しばらく体調を崩す(まだ完治してましぇん)
6月下旬
いま。7/5のサマーコンサートの編曲/作曲が遅々として進まず、本当に毎日しんどかったです。で、サッサと作れば言いのに、やはりこーゆー時に何を思ったか「かりもり漬け」を作り出す。
スーパーで青うりを見たというのが理由で、もちろん作り方も知らないし、なぜやろうとしたかすら今となっては全く思い出せないのだが、皮を剝き、ワタを取り除き、昆布で絞めて、さらに浅漬け風にして冷やして食べる。なんせ初めてなうえ、手順もあまりネットに詳しく出ておらず、上手くいったかすらわからない(笑)。でもなんか、田舎の家に行くとおばあちゃんが「漬け物作ったで食べやぁ」と喰わす、いわゆる漬け物ババアの気分がすこし分かる気がしました。
大して要領も良くないので、もう少しですね、自分ができることを絞っていきたいと思っています。
とりあえずリード作りますが、サマーコンサート僕だけ出品が漬け物だったらごめんね~。
ニョロニョロ日記 ~最近のわたくし~
春ですね。だーいしです。
ひさびさに「ニョロニョロ日記」いってみようと思います。先日の反動か、スゲー中身ないので、よろしくっす。
3月XY日
仕事仲間と鍋の買い物をする。普段行かないスーパーで締めのうどんをどれにするか迷ってると、知らんオバチャンが声かけてきた。
「何ぃあんたどれにするのぉ」
「....え?僕のことですか?」
「あんただわ。茹でうどん、どれにするのか迷っとるんでしょ」
「ええと、はい。実はこれにしようかと...」
「それ、塩気が強いわ。」
「あ、そうですか、ではこれに」
「それ、安いでたぶん国産小麦じゃないな」
「ええ、、?じゃあ、こちらに」
「それ、モッチモチ麺って書いたるけどよ、大してモッチモチじゃ無いわ」
「は、あ、そうなんですか。しかしお詳しいですね。」
「主婦だで。ほんでも、日持ちはするんだわこれが。」
「はあ、便利ですね」
「日持ちがモッチモチってことかね!変な防腐剤でも入っとるかもね。ガハハハハハハハ!!!!」
「..............。」
「なにぃ。」
「つまり、僕は、どれを買ったら良いんでしょうか。」
「知らんわぁ、自分で決めやぁ」
「お詳しそうなので教えてくださいよ」
「あたしもテキトーだわ。主婦失格だね、ガハハ。ほんでも、ひとつ良いこと教えたるわ。」
「なんですかなんですか」
「それも、、、」
「ふんふん」
「塩気強いんだわ」
「..............。そうですか、ではやっぱこっちですかね」
「それ、安いでたぶん国産小麦じゃないで(ここで会話がダルセーニョ、以下無限リピート)」
そばにいた仕事仲間は、ニヤニヤしてるだけで全く助けてくれなかったです。
3月LM日
ヘロヘロの仕事帰り、少しでも安らぎをと銭湯に行く。露天風呂でニョロニョロし、のぼせたのでベンチで冷ましながらストレッチしてると、外国人らしき青年がこちらに来て
「おぼうさんですか」
「........??」
「おぼうさんですか」
「...え?僕のことですか?」
「そう、おぼうさんですか?」
「いえ、お坊さんではないですが。お坊さんに見えましたか?」
「あなた、座禅してたから、私はお坊さんかと」
「あ、いえ、これ単なるストレッチです。」
「なんだ、そうだったですか。私、座禅したり修行の体験ができる寺、探しています。どこか知りませんか?」
「ええ~!?修行?。つまり、本当に入信ではなく、トライアルですか?」
「そうです、トライアル。」
ここまですべて日本語。以下もすべて日本語。えらく上手だなと思って尋ねたら、青年はドイツ人だがいま社会人留学生として某国立大(すげー賢いところ)を今年卒業、今はフラっと各地を旅行とのこと。
で、旅行の話から、ドイツにちろっと観光したことがある、と言う話になってから、がぜん話に花が咲く。
「わたしは、ケルンのそばから、来ました」
「あー、大聖堂は、一度見たことあるよ。とにかくデカかった」
「本当ですか!?嬉しいなあ。ケルンでは、他にどこか行きました?」
「ええと、うんと、なんて名前だったかなあ。博物館」
「思い出してください」
「ああ、アンティシェ・レーミッシェ・ムゼーウムだ。ケルンから出土された古代ローマの遺構の博物館」
「そんなマニアなとこに行ったんですか!」
とまあ10年以上前に行った場所の話で盛り上がったわけだが、だーいし君いま調べたら「レーミッシュ・ゲルマニッシェス・ムゼーウム」と全然名前違ってた(Römisch-Germanishes Museum)。こんな間違いだらけなのに、その青年ちゃんと分かってたというのはやっぱ賢いんだとあらためて思う春の宵。
「ケルンは昔のローマの植民地が発祥です。そもそも植民地を意味する『コローニア』がなまって『ケルン』となりました」
「ふむふむ。」
とまあ、ドイツの観光名所の話から、オーストリアの風光明媚さ、ケルンの地政学的位置、メルケルの政治手腕の強さと危うさ、ドイツのEUで果たす役割、移民・難民政策の光と陰、そしてさらに話は広がり、アメリカの大統領選について、ドイツ人が感じる日本の美徳について、日本の工芸品・日用品のフィット感の良さについて、初対面(しかもお互い裸)とは思えないくらい話に花が咲く。自分はドイツの脱原発という政治判断に賞賛を惜しまないと言ったら「でも、お隣のフランスはそれに賛同ぜんぜんしてませんから」とな、確かに。
とかなんとか、1時間くらいいろいろな話(くどいようですがすべて日本語)をして、「まさかこんなに楽しくお話しできるとは」「ぜひまたいつか会いましょう」「フィーレンダンク!」「チュス!」と握手して、深夜の銭湯を後にして久しぶりにちょっとすがすがしい気分になれただーいしでした。
あ、フィーレンダンク以外にも僕ちんドイツ語喋りましたよ。「ベンツ」「そのリュック」とか(笑)。
3月XX日
自分が指揮しているアマチュアオーケストラの本番。正直、前日練習まで「大丈夫かな~、特に自分。」とハラハラしていたのだが、当日は皆さんの集中が良い方向に働き、熱演でお客様も満足されてたのがとても嬉しかった。2,3年前よりぐっと安定感のある演奏の団体になりつつあり、今後が楽しみです。また、ドヴォルザークつながりということで、ソプラノのソリスト本田美香さんにお越しいただき、どうしてもやりたかった「ルサルカ」から『月に寄せる歌』を歌っていただいたのだが、これが本当に素晴らしくて、思わず指揮を忘れるほど聞き惚れてしまった。本田さん本当にありがとうございました。
アンコールでは「おぼろ月夜」を会場の皆さんとも歌う。
とまあ、そんなこんなだったんですが、今回はドヴォルザークの交響曲第8番をわたくしギリギリまで暗譜できてなく、内心ドキドキしてたんですが、結局えいっと指揮台を取っ払い、暗譜にして臨んで良かった。もちろんここでの暗譜とはなんとなく曲の流れを知ってる状態、ではなく、40分、スコアにして150ページの作品のすべてを覚えるという意味であるが。
で、よほど気が張っていたんであろう、本番日、要らないのにわたくしオーボエを背負って会場入りし、「あれ~?何でこんなもの持ってきちゃったんだろ?」と本番終わってから気づき、しかもそれを打ち上げの飲み屋に忘れて帰ろうとする大失態をする。何なんですかね、自分。
3月HG日
家の倉庫を整理してて、昔のご本に夢中になり、片付けるどこか空き巣に入られたような状態になってる我が家の今日この頃(笑)。で、いろいろ気になる本がゴロゴロ出てきたのだが、子どもの頃超お気に入りだった、中公コミックス「世界の歴史」第13巻『第三帝国の興亡』が出てきてしまう。
こちら、手塚治虫氏の監修で、宇宙人兄妹が地球にやって来て、人類の歴史を学ぶという設定。1~15巻まであり、作画自体はさまざまな漫画家さんが担当してるので、扱っている時代の違いに加え、各巻は相当画風が違う。
わたくし確か小学校の時図書館で見つけ、楽しく読んでいたのだが、お気に入りの第3巻『大いなる理想(ギリシアとローマ)』とこの第13巻『第三帝国の興亡(ヒットラーと第二次世界大戦)』は好き過ぎて、後に自分で買った記憶がある。それが出てきちゃったのだ。いまではもう絶版となっているので、本当に捨ててなくて良かった。
ヒットラー独裁下のドイツを舞台にし、音楽を通して仲良くなったポーランド人とドイツ人兄妹が戦火を生き抜くというストーリーだが、他の巻には無いくらいの切なさ、やり切れなさ、淡い恋心、そして音楽への深い愛情が詰め込まれてあり、そしてまた凄惨な場面も惜しみなく割いてある。子どもながらに本当に子ども向けかこの本?と思いながらあらためてむさぼるように読んだ。
自分のことは自分が一番良く知っているというのと同時に、自分のことは自分が一番分からない、と最近とみに自分についてはそう思うことが多い。複雑に絡まった紐を我ながらほどけないことが多いが、本を読み返して、もしかしたら、自分が音楽の道に進んだのは、これか?と今さらながら思い当たるフシもあった。ラストのシーンでは不覚にもジンと来てしまい、頬を伝わる涙を舐めたらちょっぴり塩っぽかった。モッチモチうどんほどじゃないけれど。
オマケ
で、倉庫の整理をしたら、他にも得体の知れない物品が発掘。
「ナイス蚊っち」
「うるさい蚊などを、ナイスキャッチ。」おもちゃではなく、なんか静電気を利用した蚊やハエなどを取る商品らしんだが、あまりのネーミングのナイスさに爆笑してしまったのだが、何じゃこれ~。こんなしょーもないのに手を出すのは父くらいだろう、捨てよ。
と、思ってたら、ネット上でのレビューが思いのほか好評らしく、俄然興味が沸いてきた、はやく夏にならないかしらん、僕ちんもナイス蚊っちしてみたい(笑)
http://www.amazon.co.jp/ミドリ産商-三層ネット-ナイス蚊っち/dp/B0012VVBA4
学生の皆さんへ
石田です。お久しぶりです。
3月は門出の季節であり、それゆえ別れの季節でもあります。皆さんの中にはご自身が卒業、あるいはご兄妹が卒業される方もいるかと思います、本当におめでとうございます。人によっては、大好きな先輩や、可愛い後輩とお別れしなければならず、寂しい思いをした人もいるでしょう。
それとははるかに個人的ですが、私も個人レッスンや学校レッスンで携わってきた生徒さんらと、もちろんお別れするときがあります。一番多いのはもちろん夏のコンクール前後で、コンクールを機に部活を引退する生徒さんとは、コンクール直前のレッスンが最後のことが多いです。「本番うまく吹けたかな」「目標にしてた成績が達成できたかな」と思うことはありますが、だからといってこちらからレッスンの切れた生徒さんに「どうだった?」と聞くことはありません。
さて、学校によっては引退や切り替わりが3月のところもあるので、この時期、私の手から離れる生徒さんも少なくありません。私からは、今回が最後だなという生徒さんには、「これからも音楽を好きでいてね」以外は、特に言ったりすることはありません。なぜなら、これは私のほぼ最初の生徒さんが引退してレッスンを辞める時に、(私が)名残惜しくてその生徒にいろいろ話をして数十分引き留めたのですが、明らかにイヤそうな顔をしていたからです(笑)。誰だって、教える方は、最初の生徒(社会人で言うと部下の後輩とかですかね)は思い入れがあるものですが、こちらが思っているほど、等の本人達は気にしていない、というのに数年経ってから気づいたわけです。
さてここからが本題。
かように、卒業したりお別れしたりする生徒さんに相応しいはなむけの言葉を持ち合わせていない私ですが、普段から思っていることはあります、でも滅多に言いません。それは、求められてもいないのに普段から自分の信念ばかり言う人はつまらない人間だ、と私は思っているからです。
ですが、せっかくの機会(単に今日が自分の誕生日だからいろいろ考えちゃった)なので、別に節目と言うわけではないですけど、「若い人に送る、自分のつまらない信念」を述べてみようと思います。
1.嘘をつかないこと。
「嘘も方便」という言葉を知っていますよね?時と場合によっては、嘘を言ったほうが良い場合がある、というものです。これは実は誤りです。
なぜなら、嘘は、本人は相手を騙せれていると思っていても、まず100パーセント、相手にバレています、それも言った瞬間に。相手が突っ込まないのは、あなたの嘘に気づいていないからではなく、「またコイツ言ってるよ」とがっかりしてるか、「嘘とも気づかない奴だと、オレは見くびられてるのか」と不信感が募るか、「こいつ今後もそうやって生きて行けると思ってるのか」と冷ややかな視線で見られているのか、のどれかです。嘘は方便ではありません。嘘は嘘、方便も嘘です。
もし仮に、「嘘も方便」という結果があったとしたら、それは嘘をついた本人もまったく意図していなかった、思いがけない結果が出たときだけです。大人になってから嘘をつく習慣を直すのは本当に困難です。嘘をつき続けると、「嘘」と「方便」の区別がつかなくなるばかりか、嘘を正当化する癖がついてしまいます。これは対人関係で本当に信用をなくします。また、他の国では知りませんが、日本では「嘘をつくこと」「物を盗むこと」「働かないこと」の3つには大変厳しい社会です。どうか率直で誠実であってください。
とはいえ、だからといって相手に対してどんな言い方も許されるというわけではありません。
2.良いことばかり言わないこと。
「私はこれが好き」「私はこれが良いと思う」「こんな良いことがあった」という気持ちは大事です。それと同時に、「私はこれは嫌い」「私はこれは全然良いと思わない」「こんな嫌だと思うことがあった」というのも同じくらい重要です。ここで言わんとしていることは、ネガティブな感情を押し殺さない方が健康上よい、といった表面的なことではなく、「美意識が磨かれてくると、好きなものと同数くらい嫌いなものも出てくる」ということです。
昔、企業や自己啓発セミナーなどで「良いことや、良い気持ちを皆の前で表明すると、それが皆に伝わり場が良い雰囲気になる、または目標を達成できる」といった、教育なのかなんなのか分からない教えが流行っていたことがあります。混乱しないでいただきたいのですが、「良いことを思ったり、実行したりすることは非常に大切」です。はき違えないで欲しいのは、それをわざわざ他人の前で言うことではない、ということです。良い行いはさりげなく、他人のだれもが気づかないくらいさらっと黙ってやるのが粋というものです。
「良い考えをわざわざ人前で言う」ことの弊害について説明します。「コミットメントの圧力」という言葉があります。「人前で宣言したり、自分で決めたりしたことは、実際の価値よりも、言った本人がずっと重要に感じてしまい、正当化する」といった現象を指します。これは「人前で言ってしまった(あるいは自分で決めてしまった)がゆえに後戻りできない」、単なるプライドからです。
ですが、この「コミットメントの圧力」は強力なので、皆の前で表明したとき、周囲にも同調圧力がかかります。これは本当に迷惑なことです。本当に建設的な意見を、ここぞという適した時に言うのは大切です。でも、「こんな良いことがありました」というのだけでは、本当の意味で人間は育ちません。日本では「言葉を唱えると、良い言葉なら良いことが起きる。逆に悪い言葉なら悪いことが起きてしまう」といった言霊(ことだま)信仰がいまだ根強く、「コミットメントの圧力」と「言霊信仰」が姿を変え形を変え新人教育やヒーリングに残っています。が、それは、人類が持つ非常に素晴らしい側面-美意識ーは育ちません。
繰り返しますが、「美意識が磨かれてくると、好きなものと同数くらい、当然嫌いなものも出て」きます。だからといって、自分の偏った美意識で、一方的に押し通すのが良いわけではありません。これも誤って認識しないように。
3.安易に「みんなのため」と言わないこと。
社会生活を送る上で、他人と恊働することは大切です。「情けは人のためならず(他人のためにしたことはそれだけでなく、めぐりめぐって自分のためになる)」ということわざが示す通り、他人のためにしたことは自分の助けとなって返ってきます。ですが、みなさんはまだ学生か、学生を卒業したばかりです。自分のために勉強や、スキルを磨かねばならないことが山ほどあります。どうか、しばらくは自分を高めることに一心不乱に費やしてください。
人のために何かをしてあげることは極めて重要です。世の中にはごくまれに誰の助けも借りないでも、金銭的あるいは体力的に問題なく生きていける人がいますが、そんな人はごくごくわずかです。人は社会がなければ他の生き物に比べ大変弱い存在でしかないという、動物行動学のレポートを見なくてもそれは一目瞭然です。私が言いたいのは、しかし、そういうことではありません。
自分の技能を高めたり考えを深めたりを後回しにして「みんなのために」ばかり考えている人はどうなるでしょうか?少し固い言葉で言い換えるならば、低い問題解決能力と浅薄な思考しかない状態で、社会を生き抜いて行こうとすると、どんなパターンになるでしょうか。もちろん常にと言うわけではありませんが、ややもすると、「人の顔色ばかりうかがう」人間になってしまいます。本来の目的である、他人との恊働や意思疎通は、いろいろな能力があって初めて成り立つものなのです。また、「皆のため」と言うことは、大義名分になりやすいので、意見が通りやすいです。反対もしにくいです。ですので、大人の社会では、自分の意見を押し通したい人がよく使う常套句である場合も多いです。
もちろんそうでなく、本当に人のことを考えて言っているときもあります。それがどちらか見抜けるのは、いかに「深く、自分の言葉できちんと考えることができるか」です。ですから、そのためには勉強とスキルアップがまず最優先です。「みんなのために△△をします」ではなく、「自分はまず◎◎に費やします」という方が百倍大事です。みなさんはまだ学生なので実感が沸かないかもしれませんが、歳を重ねた時に、自分の苦手なところを見過ごしてきたことや、実力を積み上げれなかった報いが一気に迫ってきて、逃げも隠れも言い訳もできないことになってからでは、遅いのです。
4.長々とつまらないことを書きましたが、最後です。
どんなものでも良いので、本をたくさん読んでください。
そして、音楽が生涯の友としてください。そうすれば、たいていのことは乗り越えられます。
卒業、おめでとう。