ピアノとわたくし
みなさんこんばんは、わたくし最近ほとんど服を買っていなくて、でもここんとこ急に寒くなってきたのでちょっと上品なカーディガンでもあるといいなと思い探したのですが、良さげと思うのが軒並み2万5千円超の値札で諦めただーいしですが、皆さんはお元気でしょうか?てゆか買えんて(笑)
思い起こしてみると一番最近に買った服は、GAPの型落ちのフードパーカーで、セールで1,900円でした。サイズがXXSとゆのがあれば欠かさずチェックしておりラッキーと思ったのですが、先日仕事先で
「ウチの息子(4歳)と全く同じ色カタチだねそりゃ」
「う、嬉しいでっす!でも僕みたいな大人にならないようにしてくださいね」
「そうね、じゃ やめよかしら」
「..........。.」
と言われなんともフクザツな気分になる(笑)。
ともあれ、トップスやボトムスはいいんですが、靴は本当にサイズがなく、スニーカーも最近ではPATRICKくらいしか合うサイズが展開してないので、ちょっと割高です。しかし革靴、いわゆるフォーマルシューズはもう本当にサイズが無く、今履いている黒靴は靴専門店を四軒見回ってようやく見つけたものでした。もちろんお値段も自分にしてはケッコウなもので、僕の持ち物の中では楽器>リード工具マシンの次に高かったです。
さて、僕のセンスない着こなしはどーでもいいとして、今日はまたどーでも良い話を。ピアノについてです。なんでこの話題にしたのか自分でもサッパリですが...皆様の暇つぶしになれば。
ピアノは、自分からやりたい!と言ったわけではなく、親がはじめさせたのですが、目的は「幼少から英才的な音楽の素養を身につける」のでは全く無くて、「ワンちゃん猫ちゃんゾーンに泣かずに行けるか」というものでした。説明しますと、犬や猫を異常に恐がってた僕や弟を憂慮した親が、犬猫をたくさん飼ってらっしゃる近所のピアノの先生宅にわざと通わせ、無事泣かずに毎週「ワンニャンゾーンを突破できるか」というのが、真のねらいだったようです。4歳のだーいし的には本当に最初は恐くてビビリまくっており、オレンジの表紙の「メトードローズ教則本」を片手に抱えながら涙目でダッシュで走りぬけていました(いまでもよく覚えている)が、やっぱり馴れというんでしょうか、ワンちゃん猫ちゃんにも優しくしてもらったおかげで、しだいに四つ足チームとは仲良くなりました。一方ピアノの先生には「また今週も片手しかやってないねぇ」「うん。」的な、超テキトーな生徒だったようです。
ただ、だからと言ってやめたいと思ったことは不思議となく、まぁダラダラとは続けておりまして、ピアノ発表会にも出ました。1年おきだった発表会で何を弾いたかというと
小5 キラキラ星変奏曲 [モーツァルト]
中1 フォークダンス(ロンド・ダンスだっけ?) [カバレフスキー]だっけ?
中3 ゴリーウォグのケークウォーク [ドビュッシー]
高2 ピアノソナタイ短調K.310より 第1楽章 [モーツァルト]
.....思い出してみましたが、大した曲やってませんね(笑)。しかもかなりうろ覚え。もちろんキラキラ星変奏曲は全12変奏弾くのはとても無理なので、主題とヴァリエーション1.2.4.12(とあとひとつくらいだったっけ?)の抜粋でした。ほんでも結構難しかったような...。
それとそれぞれ連弾をやり、毎回弟とつかみ合いの大喧嘩しながら練習「おめーの離鍵が早ぇんだよ!!」「ざけんなテメーのペダルが遅ぇんだよ!!」してました(笑)。中1の時は、妹も交えて3人で1台のピアノで弾くいわゆる6手連弾をやり、たしかシューベルトの「軍隊行進曲」をしましたが、さすがに3人で弾くと低音担当の自分はピアノの左端に追いやられ、でも右足ペダルは自分担当なので足が届かず「てめー邪魔なんだよ」「ざけんなおめーの足が短かいんだよ」「うるさーい!!!」としておりました。
ま、つまりピアノについては正確に言うと「やめるのをやめなかった」というニョロニョロおけいこレベルで、「一心不乱に練習した」ことは一度もありませんが、ピアノ曲を聴くのはとても好きで、様々なピアノ曲をレコードやCDで飽きずに何度も聴いていました。で、高校に入り吹奏楽部に入って楽譜を渡された折りに一番嬉しかったことは、メロディがうんぬんとかではなく、「楽譜がト音記号一段しかない!譜読みめっちゃ簡単!!」と言うことでした。(しかしもちろんだからといって吹けるわけでは全く無く、これは大きな誤解だったのですが)
で、話は今日、ほんじつちょっと時間があったので、ピアノをひさびさに開けて、いままでの曲をパラパラ弾いてみちゃおっかなぁフフ~ンとしたのですが、アレレ!?ひとつも弾けん(涙)。音も覚えてなければ指もバラバラでした。慌てて楽譜を発掘して譜面を見ながら格闘。全然弾けん。
特にバッハのインヴェンションは相当やったのに、右手左手が体位法的にバラバラに動くので、普段使わない脳を叩き起こして練習。40分くらいしてようやく両手が馴染んで来たわけですが...これはいかん。
高3の時、受験にピアノもあるので毎朝学校行く前、朝6時にピアノを弾いてから部活の朝練に行って、授業では寝るあるいはコッソリ楽典の課題をやる。部活では吹奏楽の曲を吹く、帰宅してもう一度オーボエを出し21時まで受験曲を練習する、そしてオーボエをしまってから最後に今一度ピアノに向かって座りソナタとか弾いて一日を終えていたわけですが、あの勤勉さはどこに!?(笑)しかし、今にして思えば、ピアノで始まりピアノで終わる一日のサイクルを作ってたのは、自分の中で調子を整えていたんだと思います。
吹奏楽部でブラスの曲をボヘー、はびょ~と吹くのは文句無く楽しかったんですが、そういう一方で「こればかりやるのは違うと思う」と常に思っている自分がいました。つまり「みんなでやる合奏」(=役割が期待される)とは全く違う心持ちで、音楽に一人で向かうということですね。ひとつの曲をすべて自分が責任もって把握し、咀嚼し、表現する。このへんニョロニョロながらピアノをやってた経験から、子供ながらですが確固とした感覚がありました。
またチャンスがあれば書こうと思いますが、音楽はその過程のほとんどが「自分との戦い」「自分の内面との対話」だと思います。なぜならそれは芸術の領域にかかってくるわけで、もしも「みんなのために」が至上命題であるならばそれは音楽やらずにマスゲーム部でもやればいいわけで。管弦楽部にせよ吹奏楽部にせよ軽音部にせよ合唱部にせよ、やることは「音楽=作品の表現もしくは創作」だからです。部活動なので社会性を育む教育が一番大事ですが、肝心の音楽がどっかにいってしまっては本末転倒という意味です。...なんだか話が壮大でかえって逆にチープになってしまいましたが、今言わんとしてることはそうではなく、高校生だった自分としては毎朝と毎晩ピアノと向き合う関係性を通して、作品をコンパクトにしかし完全に把握する行為でもって、「音の渦」である吹奏楽の感覚をいったん断ち切る、リセットしたかったのかなと思います。それも今にして思えばそうだったかもしれん、という程度ですが。
ちなみにどうでもいいことですが、高校時代母校ではチューニングや基礎合奏でハーモニーディレクターの音を大音量でかける習慣があり、自分は本当に本当にそれが苦痛でした(笑)。よく「ちょっと楽器の調子がおかしいので見てきます」と隣りの部屋に逃げてました(もちろん楽器なんか見ずニョロニョロしてた)。ハーモニーディレクターの倍音の少ない無機質な音をひたすら「ボ~」と大音量で聴かされるのは、皆さん平気ですか?僕は苦行かほとんど虐待(笑)だと思うんですが、、、。
いろんな学校でやってますが、ピッチを合わせるということは耳と感覚を研ぎすますもので、音の洪水に浸っても決して合ってきません。耳も育たないと思います。ピアノで弾いた音の方が、減衰するのでよっぽど聴きとりやすいです。
ま、それはいいとして、「音の渦」である吹奏楽だと、かえって作品の持つ本来のカタチが見えにくくなることもままあり、楽曲の把握や早い理解にはピアノ譜状態~いわゆるコンデンスド・スコア~の方が向いていると思うこともあります(コンデンスドは「凝縮された」の意味、たくさんの音が、ピアノ譜として一瞥できるように凝縮されています)。もちろん楽器の音色配置はコンデンスドだと分からなくなるので一長一短です。フルスコアとの往復が良いかと思います。
画像は、「風紋」という吹奏楽の曲を自分の理解用にピアノ譜(=コンデンスド・スコア)にしようと夜な夜な書き改めたものです。これやったおかげで、めっちゃ理解が深まりましたがめっちゃ面倒くさかったです、書いても書いても終わらんでかんわ(笑)。
どうでもいい話でした。ま、というわけで、本日いろいろピアノに向かってたらとっくにお昼の時間を過ぎている。気がつけば空腹で死にそうだ。スーパー行くのめんどくさいのでなんとか有る物で済ませれないかと思い冷蔵庫を開けたら「ドライめんたいこ」なるものがあった。
これは友人からのお土産だが、コンデンスドの話が出たわけではないが凝縮され過ぎていてそのままでは硬いし辛いしとても食べれない。薄くスライスするべきかといろいろ頭をひねりながら、残り物を探す。で、使えそうな物はこれだけだ。
ドライめんたいこ、パプリカ(黄)、アボガド1/4、紫玉ねぎ1/4、ニンニク1片、しめじ、スパゲティ。それに「ご飯の友」と書かれたふりかけ。
というわけでパスタを茹でている間
材料を切り、オリーブオイルでニンニクの香りを出し、玉ねぎ、しめじ、パプリカの順で炒める。
そして茹で上がったパスタに「ご飯の友」を盛大にかけ、
先ほど炒めた具材を混ぜ、アボガドを散らし最後に一番てっぺんにドライめんたいこを削ったものを盛ってできあがり。
味、残り物にしては意外に悪くないだが、さして自慢できる物でもなかったです。僕のピアノと同じくらいニャアだワン。