バッハとわたくし | Nagoya Double-Reed Ensemble

バッハとわたくし


こんばんは、風超寒いですね。正月から落ちた体脂肪と体重が戻らずガタブルガクブルのだーいしですが、皆さまは健やかに過ごされてますでしょうか?風邪、特に胃腸風邪が流行っておりますのでどうぞお気をつけくださいイソギンチャク

ガレリア1


ガレリア2

 さて、おとといの名古屋ダブルリードアンサンブル、長久手文化の家ガレリアコンサートにお越しいただきまして本当にありがとうございました。40分間の短い演奏時間でしたが、マジメな曲から猫踊りにゃまで楽しんでいただけたかなと思っております。私が2006年に作ったパロディ曲《フィガロの出産》も久々にやらせていただきました。こちら、名古屋ダブルリードアンサンブルの1st Album "Sweet Reverie"(2,000円)に収録してます(iTunes storeで《フィガロの出産》のみの購入も可,150円。)

 長久手文化の家は、時折凄い演奏家を呼ぶので目が離せないのですが(ハインツ・ホリガー様とか)、今週末にはドイツの古楽器演奏団体の方が見えてバッハのブランデンブルク協奏曲をされるらしく、建物の中ではあちこちにバッハに親しむコーナーが設けてありました。

バッハ顔

 巨大CDジャケットを模したハメコミは当然、わたくしも試してみました。周囲の冷ややかな視線を感じつつ(笑)。


 先日曜日ちょうどバッハの大作のひとつである《ヨハネ受難曲》の演奏にわたくしも参加しました。バッハの作品を演奏する時は、上手く言えませんが、わたくしなにか特別な思い入れがあるようです。たぶんすごい好きだからだと思いますが、その好きな理由が自分の中でもはっきりしません。作曲としてのフォルムの美しさなのか生き生きとしたリズムなのか厳しい中に赦されるようなメロディなのか、歌詞と音楽の緊密な結びつきによるドラマ性の高さなのか...おそらくそのどれもに惹かれるのだと思います。バッハの作品の中にオーボエの美しい、本当に美しいメロディがたくさん出てくるのはオーボエ吹きとして冥利に尽きますし、生涯おりに触れて演奏したい作曲家の筆頭でもありますキラキラ


 一般にバッハの作品というとまずは《トッカータとフーガ ニ短調》などのオルガン曲が有名ですが、中核をなすのは「カンタータ」「オラトリオ」「受難曲」など声楽曲のジャンルで、そこに真髄が詰まっているといっても過言ではないと思います。バッハの凄さについては私なんかよりも、あまたあるバッハやその作品についてのちゃんとした本を読んでいただくことにして、今回はバッハの「赦(ゆる)し」に目を向けたいと思います。

 先ほど書いた通り、非常に厳しい音楽の表情を持つ一方で、これは何?と言えるくらい、暖かな、美しい、癒されるような旋律を書いたのもまたバッハです。で、個人的に好きなナンバーをつらつらと。


《ヨハネ受難曲》よりバスのアリオーソ「よく見なさい、わが魂よ」に見られるパラドックスの深い表現。

《マタイ受難曲》よりアルトのアリア「ご覧なさい」のなかの「生きなさい、死になさい、ここに憩いなさい」という箇所。すべてを見通したようでありながら、その暖かな響き。

おなじく《マタイ受難曲》よりバスのアリア「私の心よ、おのれを清めよ」に見られる浄化。

《クリスマスオラトリオ》の第2部にある子守歌「お眠りなさい、わたしの大事な人」の慈しみにあふれた眼差し。

他にもすばらしい旋律には枚挙にいとまがありません。もちろんよく知られている「主よ、人の望みの喜びよ」(カンタータの第147番ですね)も大好きです。

器楽曲にもたくさん素晴らしい作品はありますね。

オーボエの有名なアリオーソや、ゴルトベルク変奏曲、オーボエとヴァイオリンのための協奏曲などです(youtubeに知らない間に私の演奏が載ってます、お耳汚しに..。

http://www.youtube.com/watch?v=cyoF7YrZBqE


さて、とは言え、バッハの作品特有の難しさもあると思います。1.キツい(ネイティヴナゴヤ人は「えらて ま~もたんでかんわ」と発語)。2.持ち替えがシビア(ダモーレやイングリッシュホルンへの相互持ち替えが頻繁)で発音にリスクを伴う。

これらのことは1については自分の音を対抗して聴かそうとするより、楽曲の中に身を委ねる」という受動的な態度が、2については「こころを強くもつ」という原始的な姿勢が良いと思えます(笑)。もちろん待っている間リードの開きをどうしておくのか、といったノウハウは当然要りますが、結局のところはコレですね。


さて、そのようなバッハへの傾倒も私の場合遅く、楽曲を初めて演奏したのはあれは大学1年生の時でしたか、年末にあったそれこそ柊《クリスマスオラトリオ》の第2部でしたキャンディー。当時右も左も分からない私を本番に乗せてくれたのは私のオーボエの師匠なんですが、オーボエのコンビは当時一般大学の学生さんであったT嬢様。わたしより確か2歳だけ年上でしたが、私を「少年!」と呼んでらっしゃいました。もちろん、ネイティヴ・ナゴヤベン・スピーカーである。

で、ステージに出る直前の会話。おそらくビビッて緊張している私を和ませようと話しかけたのであろう。


「少年!男子は服にポケットとかあるから、いいな~」

「あ、女性のドレスは容れるところないんですか?」

「ないがね。見りゃ分かるがね」

「あ、じゃあ掃除の羽根とかお預かりしましょうか?」

「少年!それには及ばん。こうして(楽器のベルに羽根を入れて)おけば持ち歩けるがね」

「なるほど」

「まあ取り出すの忘れたら音出んけどね、カッハッハ~!」


で、本ベルが鳴り舞台へ。師匠がタクトを振り、《クリスマスオラトリオ》が始まった。だが、お隣のT嬢がメチャ一生懸命吹いているのに全く音が出ない完全なるエア・オーボエだ。私も焦るが、こちらも吹きっぱなしなので「どうしたんですか!?」とか聞きたいところだがそれも言えない、第一本番だし。で、30秒ほども経ってからT嬢が私の方をトントンと叩き、ご自分の楽器からビロ~っと羽根を出すではないか。しかも「さっきまでコレやるなって言ってたのにやっちゃったもんね、しかも今気づいたもんね」的な表情をされてたのにわたくし大ウケ悶絶し、その後の演奏続行が事実上不可能に。なんつうか師匠すいません。


...というのが私のバッハ作品との出会いでした。なんかとにかく自分の出来もさんざんで、あまり良いイメージがなかったのですが、時間は全ての思い出を美しく変えるものなんですね、ちょっと違うか(笑)。とは言え、このところの忘れ物やうっかりから、そろそろコレも自分がやらかすかも知れんと思い出した次第です。


 次回バッハに臨む機会は4月のロ短調ミサ。良い演奏が出来るよう、ココロの羽根を広げておきたいもんです。本日オチなし。