新課程の世界史(世界史探究)の教科書・用語集で新たに採用された語句を順に紹介していきます。
今回は,用語集に新しく追加された「スンダ海峡ルート」を紹介します。
東南アジアにおける東西を結ぶ海上ルートの一つとして重要です。
スンダ海峡は東南アジアのスマトラとジャワ島の間の海峡で,スンダ海峡ルートはスンダ海峡を通じて東西を結ぶ海上交通ルートである。
スンダ海峡
スンダ海峡は,東南アジア諸島部,インドネシアのスマトラ島とジャワ島の間にはさまれた海峡である。
海峡の幅は25~100km程度,長さは150km,水深は60~80mで,海峡のなかには火山島が多く存在している。
海峡には狭い部分があり,また島も点在するために,航で通行することは容易ではなく,古い時代にはあまり使用されなかったが,16世紀にマラッカ海峡ルートに支障が生じたこともあって海上貿易ルートとして注目されるようになった。
マラッカ海峡ルートとその動揺(7世紀頃~16世紀初め)
インド洋と太平洋を結ぶ東南アジアの海域では,古くから東西を結ぶ海上貿易が行われていたが,特に7世紀頃からはマレー半島とジャワ島の間のマラッカ海峡を横断するマラッカ海峡ルートが利用されるようになり,海上貿易が発展してシュリーヴィジャヤ王国などマラッカ海峡周辺を掌握した港市国家が繁栄した。
そして,15世紀から大交易時代とも呼ばれる海上交易が活発な時代に入ると,マラッカ海峡ルートはさらなる発展を見せ,海港都市マラッカを拠点としたマラッカ王国が中継貿易によって栄え,ムスリム商人たちが東南アジア各地の港市で活躍した。
ところが,16世紀に香辛料獲得などを狙って進出してきたポルトガルは,この海域の貿易を掌握することを狙って1511年にマラッカを占領し,マラッカ王国を滅ぼした。
ポルトガルは,東南アジアの最大の交通の要衝であるマラッカをおさえることで,香辛料などこの地域の商品の貿易を独占することをはかったのである。
スンダ海峡ルート(16世紀~)
ところが,現地のムスリム商人たちは,ポルトガルに対抗して,別の海上ルートを開拓する。
彼らは,ポルトガルの支配下に入ったマラッカ海峡を避けて,スマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡を通過するスンダ海峡ルートを開拓し,これを使用するようになった。
このように交易ルートに変化が起こった結果,スマトラ島の西岸部やジャワ島の西部も寄港地としてのニーズが高まり,これを背景としてスマトラ島のアチェ王国やジャワ島のバンテン王国が海上貿易によって発展していった。
こうして,ポルトガルによる東南アジア貿易独占の試みはムスリム商人の対抗のために失敗し,東南アジア海域における貿易のネットワークはマラッカ海峡だけでなくスンダ海峡ルートなども使用した多元的なものへと変化することになった。