2024年に主な記念・周年を迎える世界史上の出来事 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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明けましておめでとうございます。

今年2024年に主な記念・周年を迎える世界史上の出来事を紹介します。


100周年(1924年)


第1次国共合作の成立(1924年)


1924年1月,中国国民党の第1次全国代表大会で,国民党と共産党が協力する第1次国共合作が成立した。

中国国民党は,孫文の主導のもと,この大会において「連ソ・容共・扶助工農」の方針を採択し,共産党員を受け入れて協力体制を築くことを決めた。

この結果,共産党員は個人的な立場で国民党に参加し,国民党と共産党が力を合わせて軍閥や帝国主義に立ち向かうことになった。


トルコ共和国でカリフ制度が廃止(1924年)


ムスタファ゠ケマルが大統領となってトルコで西欧化や政教分離などの改革が行われるなか,1924年にカリフ制が廃止された。

ケマルはすでに1922年にスルタンを廃止してオスマン帝国を廃し,翌1923年にトルコ共和国を樹立していたが,ムスリムの多い国民の感情も考慮してカリフ制については存続させていた。

しかし,政教分離の徹底をはかるケマルは,1924年にカリフ制も廃止し,これによってイスラーム世界において権威をもっていたカリフの存在は消えることになった。


アメリカで1924年移民法が成立(1924年)


1924年,アメリカ合衆国で新たな移民法が制定され,日本人などアジア系移民が全面的に禁止され,東欧・南欧系の移民も厳しく制限された。

アメリカでは,移民への反発を背景に1975年から移民を制限する移民法が何度か制定されるようになり,1882年の移民法では中国人移民が禁止されていた。

そして,この1924年の移民法では日本人などのアジア系が全面的に禁止されるとともに,東欧・南欧系の移民が厳しく制限された。特に日本人の移民への影響が大きかったため,排日移民法とも称される。


ドーズ案の成立(1924年)


第一次世界大戦後のドイツの賠償問題に関して,アメリカの仲介によって支払額の調整やアメリカの融資を定めるドーズ案が成立した。

第一次世界大戦後,ドイツの賠償問題をめぐっては,1923年にフランスによるルール占領が行われるなど国際的危機起こっていたが,この問題の解決のためにアメリカの仲介でドーズ案が成立し,当面の支払い額の抑制とアメリカによるドイツへの融資を定めた。

このドーズ案によって,賠償問題をめぐる危機はいちおう収拾されて安定に向かい,これを機に国際協調の気運が高まっていった。


モンゴル人民共和国の成立(1924年)


中国の辛亥革命を機に1911年に独立を宣言していたモンゴルが,独立を確保した後,1924年にはモンゴル人民共和国の成立を宣言した。

清朝に服属していた外モンゴルは1911年に辛亥革命で清が滅亡したのを機に独立を宣言したものの中華民国がそれを認めてなかったが,モンゴル人民革命党はロシアのソヴィエト政権の支援も得て1921年までに独立を達成した。

そして,1924年にはモンゴル人民共和国として国名および体制を改めて社会主義の方針を明らかにした。


200周年(1824年)


イギリス・オランダ協定(英蘭協定/英蘭協約)の締結(1824年)


東南アジアで支配圏の拡大をはかるイギリスとオランダが,1824年に東南アジア諸島部における互いの勢力範囲を定める英蘭協定を結んだ。

19世紀前半のイギリスとオランダは,特にマレー半島やスマトラ島などの東南アジア諸島部をめぐって対立していたが,1824年にこの英蘭協定を締結し,マラッカ海峡を境界として北東のマレー半島方面をイギリス,南西のスマトラ島などをオランダの勢力圏として分割した。

以後,英蘭はそれぞれ東南アジアの植民地化を進めていくが,両国による分割は,従来のマレー人たちの世界を分断し,後のマレーシアとインドネシアの境界を形成することになった。


イギリス・ビルマ戦争の開始(1824年)


インドの植民地化を進めていたイギリスは,インド・ビルマの境界地帯をめぐってビルマのコンバウン朝と衝突し,1824年に第1次イギリス・ビルマ戦争を起こした。

この第1次ビルマ戦争の結果,イギリスはビルマは南部の一部の領土を獲得し,さらに1852年からの第2次イギリス・ビルマ戦争,1885年の第3次イギリス・ビルマ戦争を経てコンバウン朝を滅ぼしてビルマを英領インド帝国の一州として併合した。


500周年


ドイツ農民戦争の開始(1524年)


1524年,ドイツ中・南部の農民が,宗教改革の影響も受けて領主などに対して蜂起し,ドイツ農民戦争が起こった。

当時,領主の支配のもとで苦しんでいたドイツの農民たちは,ルターが開始した宗教改革の影響も受けて1524年に蜂起し,翌年には神学者ミュンツァーが農民側に加わり,農奴制の廃止などを求める12カ条の要求が掲げられるなど運動は急進化し,戦争は激化した。

これに対して,現世における社会変革に反対するルターは農民に反対して諸侯の鎮圧を支持し,結局,農民軍はしだいに諸侯軍に鎮圧されていった。