アスワン・ハイ・ダムは,ナイル川の中流,エジプト最南部のアスワンで建設された巨大なダムである。
計画
エジプトでは,古く文明発祥の頃からナイル川の自然の増水と氾濫を利用した農業が行われてきたが,近代になるとナイルの水を人工的に管理することが試みられるようになった。
19世紀末から20世紀初め,エジプトがイギリスの保護下に置かれていた時期に,イギリスはエジプト最南部のアスワンの近くでアスワン・ダム(アスワン・ロウ・ダム)を建設したが,このダムでは貯水量が不足するなど限界があった。
そこで,20世紀後半のエジプト共和国成立後には,大統領となったナセルがアスワン・ダムの上流にさらに大規模な新たなダムを建設することを計画し,これによってアスワン・ハイ・ダムの計画が推進されることになった。
国際的問題
アスワン・ハイ・ダムの建設はナセルの主導でエジプトの国家的プロジェクトとして推進され,その建設のためにアメリカやイギリスからの援助も取りつけた。
ところが,米ソを中心に冷戦が展開されていたなか,ナセルがソ連などの社会主義陣営に接近する姿勢を見せたことを理由として,1956年にアメリカとイギリスは支援を撤回した。すると,ナセルは代替となる財源を確保するために,イギリスとフランスに経営権を握られていたスエズ運河の国有化を強行した。
このナセルの措置に対しては,イギリス・フランスおよびイスラエルがエジプトに対する攻撃を開始して第2次中東戦争(スエズ戦争)が起こり,エジプトは窮地に陥ったが,まもなくイギリス・フランス・イスラエルが国際的批判を受けて撤退に追い込まれたことで,結果的にエジプトは勝利して危機を切り抜けることができた。
建設と完成
このような国際的問題を経た後,結局,アスワン・ハイ・ダムはソ連による援助が行われることになり,1960年から建設が開始されて1970年に完成した。
アスワン・ハイ・ダムの建設によって,大規模な灌漑や発電が可能になり,耕地の拡大や電力の安定供給に役立った。一方で,蒸発による水量の喪失,下流域の土壌の栄養分の減少,生態系の破壊などの問題も起こっている。
アスワン・ハイ・ダムは,ナイルから恵みを受け,同時にそれに翻弄されてきたエジプトにとっての近代の象徴であるかのように,そびえたっている。