バグダードの歴史 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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バグダード 地図

バグダードは,ティグリス川中流,イラクの中央部に位置する都市である。

成立


バグダードは,イスラーム帝国・アッバース朝の第2代カリフであり帝国の確立者であるマンスールによって築かれた。


マンスールは,帝国の首都の建設を構想して適した土地を探し求めたが,その末にティグリス河畔の交通の便のよい地を見つけ,ここに都市の建設を命じた。建設は762年から開始され4年の年月と10万人の労働力をかけて完成し,「マディーナト・アッサラーム」(「平安の都」)と名づけられた。


都市は円形の構造が特徴的で,周囲を3重の巨大な城壁によって囲まれていた。最も中央の内城のなかには宮殿や官公庁などが築かれ,円城の外側には官吏や軍人の邸宅がつくられ,城壁の外には商店や住宅が並んだ街区が形成された。


交通が重視されていることも特徴で,北東はイランを経て中央アジア・中国へ,南東はティグリス川・ペルシア湾を通じてインド・東南アジアへ,南西はクーファからアラビアへ,北西はユーフラテス川を通じてシリア・エジプトへとつながっており,バグダードは帝国の中枢となって帝国および世界の各地を結びつけた。


繁栄


アッバース朝の盛期には首都バグダードは大きく繁栄し,当時における世界最大級の都市となった。


人口は数十万から100万ほどもあったとみられ,アラブ人のほかに,イラン人,トルコ人,キリスト教徒・ユダヤ教徒などさまざまな民族が居住し,また各地から商工業者が集まって賑わった。


水陸のルートによって世界各地との間で交易が行われ,インドの香辛料,中国の絹織物,アフリカの金など多様な商品が運ばれてきて,国際商業の中心地となった。


その後


10世紀半ば頃からアッバース朝の衰退にともなってバグダードは衰えていったが,1258年にモンゴル帝国のフラグの侵攻によってバグダードが陥落してアッバース朝が滅亡すると,その流れは決定的になった。その後は,バグダードは,イル゠ハン国,ティムール朝,サファヴィー朝,オスマン帝国などの支配下に入るが,重要性は低下して一地方都市となった。


ところが,近代に入ると重要性が再び高まっていき,19世紀末から20世紀初めには列強によるバグダード鉄道の建設をめぐって国際的な焦点となった。そして,第一次世界大戦後にオスマン帝国領が解体されてイラク王国が成立するとバグダードはその首都となり,1958年にイラク共和国にかわった後も引きつづき首都となっており,現在も複雑なイラク,そして中東の情勢の中心に存在している。