東大世界史の2012年第2問⑶⒜の問題・解答・解説です。
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問題
漢の武帝の対匈奴政策と西域政策の関わりについて,2行(60字)以内で説明しなさい。
解答
解答例
「⒜匈奴に対する同盟を結ぶために張騫を西域へ派遣し,匈奴を撃退すると西域に進出し支配下に入れ匈奴の東西交易の利益を奪った。」
解答のポイント
対匈奴政策と西域政策との関わりが求められているので,単にそれぞれの政策を述べるのでなく,両政策の関わり合いを明確に示す必要がある。
まず,匈奴との戦いと張騫の西域への派遣の関連をおさえる。
また,匈奴を撃退したことと西域に進出したことの関連もつかみたい。
あとは,西域を支配下に入れたことと匈奴に経済的な打撃を与えて衰退させたこととの関連も指摘することができる。
なお,「河西4郡」などを書こうとした人もいるかもしれないが,「西域」は定義に幅はあるもののタリム盆地以西の地を指し,河西地方は西域には含まれないので,河西についての政策を論じても評価の対象にはならないと思われる。「河西をおさえることによって西域に進出した」と書くならいちおう西域の政策とも言えるが,字数を余分に使ってしまうし,もっと西域についての直接的なことを書くべきなので,河西をあえて書く必要があるとは思えない。
解説
<対匈奴政策と西域政策の関連>
匈奴に対する同盟と張騫の西域派遣
漢の武帝は匈奴を攻撃するために大月氏などの西方の勢力と同盟を結ぶことをはかり,張騫を西域へと派遣した。
結局,匈奴を挟撃するという当初の目的は果たせなかったが,張騫の西域への旅によって西域の情報がわかり,これは漢の西域進出を促すことになった。
匈奴の撃退と西域への進出
武帝は並行して直接的な攻撃も展開し,将軍の衛青や霍去病らを派遣して匈奴を撃退し,オルドス地方や河西回廊をおさえた。
こうして西域への道を確保すると,漢は西域に進出してタリム盆地の西域諸国などを服属させ支配下においたが,これにより匈奴は東西交易の利益を失って衰退していくことになった。