カルカッタ(現コルカタ)は,インド北東部,西ベンガル州の州都で,ガンジス川の河口付近に位置する都市である。
カルカッタはもともと環境が悪く居住に不向きな土地であったが,イギリスのインド進出が転機となって発達していくことになった。
17世紀末,インド進出を進めるイギリスはここに商館を置いた後,要塞を建設し,インド北東部における拠点とした。以後,カルカッタはイギリスの進出と結びつきながら発展を遂げていく。
18世紀後半からイギリスがインドの植民地化を進めると,カルカッタは英領インドの首都とされ,イギリスのインド支配の最大の拠点となった。
英領インドの政治的・経済的中枢となり,またガンジスの河口付近という位置や豊かな後背地の存在などの地理的な利点もあって,カルカッタは商工業が発達し建物やインフラの建設も進んで,西欧的な近代都市として急速に発展した。
また,西洋からもたらされた宗教や思想との接触のなかで,インド人の間ではベンガル地方を中心に社会や思想の改革を試みるさまざまな運動が起こったが,カルカッタはこのようなインドの文化活動の最前線にもなった。
20世紀初めにはインドでイギリス支配に対する民族運動がさかんになるが,ベンガル地方,なかでもカルカッタは,その最大の焦点になった。
1905年にイギリスがベンガル分割令を発表すると,インドでは反英運動が巻き起こったが,ベンガルはその運動の中心になり,1906年のインド国民会議のカルカッタ大会では英貨排斥・スワデーシ・スワラージ・民族教育の4綱領が決議された。
イギリスはこのような反対運動の高まりを前に1911年にベンガル分割令を撤回したが,同時に民族運動の激しいカルカッタからデリーへとインド帝国の首都を移し,これによりカルカッタは首都の地位を失った。
第二次世界大戦後に英領インドがイギリスから独立したことによって,ベンガル地方とカルカッタは大きな曲がり角を迎えることになった。
インドとパキスタンの分離独立によってベンガル地方は東西に分断されることになったが,これによってカルカッタは後背地を失い,また東パキスタン側から大量の難民が流入するなど,大きな打撃を受ける。こうしてインドの独立後,カルカッタはその経済的な地位を低下させた。
それでも今もなお,カルカッタは農業・工業・貿易などが大きく発達しており,インド東部の最大の中心で,インド有数の大都市となっている。