東大世界史2017年第1問 過去問題・解答・解説 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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東京大学2017年第1問の過去問題と,東大世界史講師(管理人)が作成した解答解説です。

- 解く際の注意 -

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不必要に問題の全文を掲載することは避けて,解答するのに直接的に必要な範囲でのみ問題文を引用するか,または趣旨を損なわないかたちで文章の変更や単純化をしています。全文を確認したい人は,WEB上に公開されている各大学の入試問題データや市販の過去問題集などで確認してください。

問題

前2世紀以後のローマ,および春秋時代以後の黄河・長江流域について,「古代帝国」が成立するまでのこれら二地域の社会変化を20行(600字)以内で論じなさい。












解答例

ローマは本来は都市国家・市民共同体の性格をもち,共和政のもとで市民は政治に参加し国防も担った。

しかしローマが属州を獲得するなど対外発展すると,市民の格差の拡大や国家の拡大により都市国家や市民共同体の性格が崩壊していき,これを背景に内乱に陥り,有力者は私兵を用いて抗争を展開し,またローマ市民権は同盟市戦争を機にイタリア半島全体へと拡大された。

そして内乱の収拾と地中海世界の統一が果たされるとローマは帝国となり,皇帝が第一人者を称し共和政の形式を尊重しつつ権力を集中する元首政が開始され,後には専制君主政へと移行していく。帝国内ではラテン語などのローマ文化が普及し,市民権も帝国全体へ拡大されていった。


中国は西周の時代には社会は宗法によって秩序づけられる宗族という氏族が基礎となっており,国家はの連合した邑制国家の性格が強く,これらを前提として封建制のもとで統治が行われた。

しかし春秋戦国時代には諸侯による抗争や農業・商工業の発展を背景に氏族制とそれにもとづく身分秩序や共同体が崩壊していき,一方で諸侯の主導で中央集権化や領域国家の成長が進行した。

そして秦によって中国が統一されると帝国が成立し,皇帝という称号が採用されるとともに皇帝専制にもとづく中央集権体制や全国と人民を支配する体制が築かれ,つづく漢によって確立された。またこの時期には漢字の書体が統一されるなど中国の文化的統一も進行していった。

解説

ローマ

共和政期半ばまで…変化前の社会・国家

ローマは,もともとイタリア半島内で一つの都市国家として成立した国家で,その国家は市民の共同体としての性格をもち,それを前提とした国家の制度がつくられた。

ローマの社会について見ると,貴族(パトリキ)および平民(プレブス)から成るローマ市民が共同体の基本的構成員となっており,これが国家の基礎となった。イタリア半島の征服活動の進展と並行して,貴族と平民の対立が生じ,また市民権は他の一部の都市の人間にも拡大していくが,それでも市民共同体の維持がはかられた。

国家体制について見ると,政体は前6世紀末頃から共和政の形式がとられ,コンスル民会元老院などが置かれて運営され,当初は貴族が政治を独占していたが,身分闘争を経て平民も含んだ市民が政治に参加する体制が成立した。また軍事的には,市民によって編成される重装歩兵の部隊が軍事の中核となって国家の防衛を担っていた。

共和政末期…社会・国家の変化

前3世紀前半までにイタリア半島を統一したローマは,さらにイタリア半島外に進出して地中海周辺で属州を獲得し領土を拡大していくが,それにともなってローマの社会,そして国家体制に大きな変動が起こることになった。

対外発展の結果,元老院議員や騎士などの上層市民は属州総督や徴税請負の任務,あるいは獲得した土地や奴隷を利用したラティフンディアによって莫大な利益を得たが,一方で,中小農民のような下層市民は土地の荒廃や属州からの安価な穀物の流入のために打撃を受けて没落して無産市民となる者も多く,こうして市民の格差が拡大して市民共同体が崩壊していった。また,領土拡大により広大な領域国家へと発展したために,ローマの都市国家としてのあり方は動揺した。

こうした社会の状況を背景にそれまでの国家の体制は動揺し,共和政の体制は機能不全を起こし,有産市民を基盤とする兵制は崩壊し,またローマ市民権の限定も不適合になっていった。その結果,ローマは「内乱の1世紀」と呼ばれる混乱の時代に入り,内部での抗争が相次ぎ,有力者は庇護民を抱えて私兵として利用するようになった。また,この時期には,同盟市戦争を機に,イタリア半島の全自由民に自由権が付与されるという市民権の拡大が行われている。

帝政…帝国の成立

前1世紀後半にはローマの内乱が収拾され,またローマは地中海世界の統一を果たした。これ以降,ローマは帝国へと移行していき,これまでに生じていた社会の変化を背景として新たな国家体制の枠組みが成立した。

政治的には,アウグストゥスオクタウィアヌス)によって第一人者プリンケプス)を称して共和政の形式を尊重しながら実際には皇帝が権力を集中する元首政プリンキパトゥス)が開始され,さらに後には共和政の形式も放棄されて皇帝専制体制とそれを支える軍隊・官僚の整備が進んで専制君主政ドミナトゥス)へと移行する。

帝国では市民権の拡大も進み,3世紀にはカラカラによりローマ市民権が属州も含む手国全体の自由民へと拡大された。また,ローマの支配下で,地中海世界にはローマ法・ローマ風都市・ラテン語などが普及した。

中国

西周まで…変化前の社会・国家

西周の時代の中国では,社会は氏族が基礎となっており,また国家はという集落・都市を基礎となっており,このような氏族や邑を基礎として国家体制が形成されていた。

西周の時代頃までの中国は氏族制の社会で,宗族と呼ばれる氏族集団が社会の基礎となっており,この宗族は宗法という規範によって秩序や礼法が定められていた。

国家体制についてみると,周は邑の連合した邑制国家としての性格をもっていた。そして,氏族制を基盤として封建制による統治を行い,王・諸侯・卿・大夫・士という身分秩序を築き,彼らに各地の統治を委ねることで間接的な支配を行っていた。

春秋戦国時代…社会・国家の変化

春秋戦国時代には,政治的には周王の権威が衰えて諸侯が自立して抗争を行うようになり,経済的には鉄器の普及などの技術革新や諸侯による富国強兵策もあって農業・商工業が大きく発展し,これらを背景として社会や国家に大きな変動が起こることになった。

この時期の社会について見ると,支配層においては,氏族にもとづいた身分秩序が崩れていき,実力主義や下剋上の時代になった。また庶民のレベルでも,生産力の上昇や商工業の発展もあって,氏族を基礎とする共同体が崩れて,個々の家や個人の自立が進行していった。

国家の体制に着目すると,氏族制を基礎としていた封建制が崩れ,周王を頂点とする統一的な秩序が破れて国が分立し,諸侯らによる抗争が行われた。諸侯は君主権の強化や領土の拡大・統合を進め,そのなかで臣下と直接の主従関係と築き,また農民や商工業者なども直接掌握することをはかるようになったが,これによって国ごとに中央集権化や領域国家の成長が進行していった。

秦・漢…帝国の成立

春秋戦国時代の分裂は秦の始皇帝によって統一され,秦とつづく漢によって中華帝国が確立されることになった。

秦の始皇帝によって,全土を統治する君主の称号として新たに皇帝という称号が採用され,また郡県制の実施に見られるように皇帝専制や官僚制を柱とする中央集権体制が築かれ,また国家が全土と人民を支配する体制も成立した。秦は急激な中央集権化への反発もあって短期間で崩壊するが,それにつづく漢によって皇帝を頂点とする中央集権的な国家体制は確立されていくことになった。

また統一後の中国では,漢字の書体が小篆篆書)に統一されたほか,貨幣・度量衡・車軌なども統一されて社会制度や文化の統一も進行したが,これによって中国の文化的な一体性も高まっていった。