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エリザベス1世

<エリザベス1世>


エリザベス1世(1533~1603年)は,イギリス・テューダー朝の女王である。


エリザベスは,1533年,イギリス・テューダー朝の国王ヘンリ8世と第二妃アン・ブーリンとの間に生まれた。王女として生まれたものの,母は不貞の疑いで処刑され,父からは疎外されて,寂しい子ども時代を送った。教育に関しては,宮廷の人文主義者らの指導を受けて教養を学び,早くから聡明さを示した。

父の死後はまず異母弟のエドワード6世が,ついで異母姉のメアリ1世が王位を継承したが,メアリの時代にはエリザベスは敵視され,一時はロンドン塔に幽閉されるなどの苦難を経験した。このような時期を経て,1558年,メアリが後継ぎを残さずに死去したために,25歳のエリザベスは国王として即位することになった。


当時は国内では宗教改革をめぐる混迷が続き,国際的にはスペインとフランスの覇権争いが繰り広げられるなど内外ともに不安定な状況にあったが,こうした情勢を前にエリザベスは廷臣たちを用いながら的確でバランスのとれた政治を行った。

まず,宗教問題については,1559年,首長法を再び発布するとともに統一法を制定してイギリス国教会を国家の宗教として定めたが,その内容を穏健で中道的なものにして広い国民が受容できるように配慮した。これによって新旧両派の間で激しく振れ動いてきたイギリスの宗教は国教会でいちおう確定された。

対外的には,外国の抗争に巻き込まれるのを極力避けるように慎重な姿勢をとったが,戦略的な判断からプロテスタント勢力の支援を行うこともあった。オランダ独立戦争でオランダ側を支援したこともあって,1588年にはスペインの無敵艦隊アルマダ)による侵攻を受けたが,女王はこれに勇敢に立ち向かい,ドレークホーキンズらの活躍もあって撃退することに成功した。

このように厄介な問題を収拾し,未曾有の国難を乗り切ったことで,国内では明るい気分があふれた。また,この頃にはイギリスでルネサンスが興り,シェイクスピアらの優れた文芸が時代に花を添えた。こうして,この時期のイギリス人は繁栄を謳歌し,エリザベスはその象徴として讃えられた。


アルマダの海戦

<アルマダの海戦>


治世の晩年になると,そのような雰囲気にも陰りが見えてくるようになった。経済は深刻な不況に陥り,また議会との軋轢が目立ってきた。それでも,彼女は社会政策などを実施して対策に取り組み,議員たちには誠意をもって話し合いを行うことで理解につとめた。そして,1603年,女王はその長い治世を終えた。彼女は生涯を通じて独身を守ったために子をもたず,その死とともにテューダー朝は断絶することになった。

エリザベスは,不遇な少女時代を通じて調和のとれた判断力を身につけ,困難な時局に対応してイギリスを守り導いた。彼女は国家と国民を愛したが,国民もまた彼女のことを愛し,その治世はイギリスの人々から繁栄の時代として記憶されることになった。