<堯>
<舜>
「堯舜伝説」は,中国の伝説上の帝王である堯(ぎょう)と舜(しゅん)にまつわる伝説である。
中国では,文明や民族の起源を説く物語として,三皇五帝と呼ばれる,あわせて8人の帝王についての伝説が生まれ,広まった。
それによれば,初めに三皇と呼ばれる神のような存在の3人の帝王の時代があった後,五帝の治世になった。五帝は,黄帝から始まり,顓頊(せんぎょく),嚳(こく)とつづく。そして,最後の2人にあたるのが堯(ぎょう)と舜(しゅん)である。
堯は,五帝の3代目の嚳の子として生まれた。
彼は,大きな徳と知恵を備えており,しかも同時に慎み深く,人々から厚く慕われた。彼は即位すると,暦法を発明して農業の発展をもたらすなどの業績を上げた。
堯は,晩年になって後継者を決めるのにあたって,民間にいた優れた人物である舜を見出した。彼は政治を代行させるなどして舜を試した後,王位を自身の息子ではなく舜に譲った。
舜は,五帝の初代の黄帝の子孫にあたるが,当時は彼の家は貧しい庶民の家庭になっていた。
父や義母・義弟は意地が悪く,舜は虐待されて命までも脅かされたが,それでも彼は耐えて忠孝を尽くした。このため彼の評判は世間に聞こえ,ついに堯に見出されて仕え,後には王位を譲られた。彼は即位すると有能な賢臣を登用して,これによって良く天下を治めた。
こうして舜が登用した者のなかに禹という者がいたが,禹は治水を委ねられて洪水の対応にあたり,献身的な努力によって見事な成果をおさめた。そこで,舜は禹に王位を譲ることを決めたという。
以上のように,堯と舜は大きな徳をもち優れた業績を上げた聖王とされ,中国で理想の君主として語り継がれ,人々の心のなかに刻まれた。
また,堯から舜への王位継承に見られる,徳のある人物に王位を譲る禅譲の方法は,理想の王位継承法とされ,中国の現実の政治にも大きな影響を与えることになった。