「バトル・オブ・ブリテン」 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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バトル・オブ・ブリテン イギリス空軍

<イギリス空軍>

「バトル・オブ・ブリテン」(ブリテンの戦い)は,1940年7月から10月にかけて,イギリスとドイツの間で展開された航空戦である。

第二次世界大戦とドイツの快進撃

1939年にドイツがポーランドへの侵攻を開始すると,イギリスとフランスはドイツに対する宣戦を布告し,これによって第二次世界大戦が開始された。

1940年の春になるとドイツは西部戦線での本格的な攻勢に乗り出し,デンマーク・ノルウェーにつづいてオランダ・ベルギーを占領し,さらにフランスも降伏させた。

こうして西ヨーロッパの大陸部をほぼ制覇したドイツは残るイギリスの攻略を狙い,一方,イギリスは孤立してドイツの侵攻の脅威にさらされることになった。

「バトル・オブ・ブリテン」

1940年7月,ドイツのヒトラーはイギリス本土ブリテン島への空爆を命じ,それと同時にブリテン島への上陸作戦の準備に着手させた。これに対してイギリスでは,新たに首相となったチャーチルが徹底抗戦を訴えてドイツの攻撃に立ち向かった。

1940年の7月から10月にかけて,ドーヴァー海峡やイギリス上空において,ドイツ空軍とイギリス空軍の間で熾烈な航空戦が展開された。ドイツ空軍は速度において勝っていたが,イギリス空軍はレーダーの利用などによって効果的に迎撃し,ドイツに制空権を掌握させなかった。この戦いは,チャーチルによって「バトル・オブ・ブリテン」と名づけられた。

このバトル・オブ・ブリテンの結果,イギリスは制空権を死守し,ドイツはブリテン島上陸作戦を断念させられた。こうして,イギリスは苦しみながらも防衛を果たし,ドイツとの戦いを継続していくことになった。

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