「カーネーション革命」(ポルトガル1974年4月25日革命) | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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カーネーション革命

<カーネーション革命を祝う壁画>

カーネーション革命」(ポルトガル4月25日革命/「リスボンの春」)は,1974年4月にポルトガルで起こった,独裁体制を打倒して民主化の契機となった革命である。

サラザール体制とその矛盾

ポルトガルでは,1930年代から首相アントニオ・サラザールによって「エスタド・ノヴォ」(「新国家体制」)と称される体制が築かれ,独裁的政治が展開された。

この体制は第二次世界大戦後になっても継続し,サラザールは国内では引き続き抑圧的な政治を行う一方,海外では植民地の独立運動を容赦なく弾圧した。1968年にサラザールは事故のために政治から引退するが,後継者となったカエターノ首相は政治体制を継承し,また植民地を維持することに固執した。

こうして,ポルトガルでは戦後も独裁体制と植民地が維持されたが,1960年代になると政治的な抑圧や植民地戦争の泥沼化に対する不満から反政府運動が高まっていった。

「カーネーション革命」

こうしたなかで,1970年代前半には,軍部の革新派の将校たちによって体制変革を目指す運動が起こり,革命に向けた準備が水面下で進行していった。

そして1974年4月25日,軍部の革新派は首都リスボンで軍事行動を開始し,市内の放送局などの要所を占拠すると,革命を宣言した。追い詰められたカエターノ首相は政権を放棄することを表明し,これにより無血革命が達成された。市民たちは革命を歓迎し,赤いカーネーションの花を手にして,革命を行った兵士たちや政府から解放された人々を迎えた。そのため,このポルトガル4月25日革命は,「カーネーション革命」とも呼ばれる。

こうして「カーネーション革命」によって,40年以上に及ぶポルトガルの独裁体制にようやく終止符が打たれた。この後,ポルトガルは植民地を放棄し,また民主化へと向かっていった。