<イギリスの軍人・外交官マーク・サイクス>
<フランスの外交官ジョルジュ・ピコ>
「サイクス・ピコ協定」は,第一次世界大戦中の1916年5月,イギリス・フランス・ロシアの間で結ばれた,オスマン帝国領の分割を定めた協定である。
第一次世界大戦と秘密外交
1914年からドイツなどの同盟国と英仏露などの連合国の間で第一次世界大戦が展開されたが,戦争が予想に反して長期化するなか,連合国と同盟国の双方は戦争の遂行や戦後の地位を有利にするための秘密外交を展開した。
ドイツは大戦勃発時からオスマン帝国と秘かに同盟の交渉を進めており,1914年末にはオスマン帝国は同盟国側にたって参戦した。これに対して,連合国はイギリスが1915年にオスマン帝国領内のアラブ人とフセイン・マクマホン協定を結ぶなどの工作を展開し,また同時に,戦後の勢力圏の分割などを取り決める裏約束も行った。
サイクス・ピコ協定
1916年5月,イギリスの軍人・外交官マーク・サイクスとフランスの外交官ジョルジュ・ピコの間でまとめられた案にロシアも加わって,オスマン帝国領のシリア・パレスティナ・メソポタミア・アナトリアなどの分割に関する協定が成立した。
このサイクス・ピコ協定では,イギリスがメソポタミア南部,フランスはシリア,ロシアはアナトリア東部の黒海沿岸などを勢力圏とし,パレスティナは国際的な管理下に置くことなどを決定した。
戦後,勝利したイギリスとフランスは,この協定を基本として旧オスマン帝国領を分割することになった。しかし,この協定は,同じく戦争中にイギリスが約束していたアラブ人とのフセイン・マクマホン協定やユダヤ人へのバルフォア宣言にも矛盾するものであり,戦後に起こる中東問題の大きな原因となった。