「サカリヤ川の戦い」 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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サカリヤ川の戦い

<サカリヤ川の戦い>

ムスタファ・ケマル

<ムスタファ・ケマル>

サカリヤ川の戦い」(「サカリヤ河畔の戦い」)は,第一次世界大戦後に起こったギリシア・トルコ戦争のなかで,1921年,トルコ北西部サカリヤ川のほとりで,ギリシアとトルコの間で行われた戦いである。

第一次世界大戦とトルコ

1914年から開始された第一次世界大戦において,オスマン帝国(トルコ)はドイツなどの同盟国側にたって参戦し,英仏などの連合国と戦った。しかし,戦いは劣勢となり,1918年10月,オスマン帝国は連合国に降伏した。

こうして敗戦したオスマン帝国のイスタンブルの政府は,連合国との間で講和条約としてセーヴル条約を締結し,領土の分割や治外法権の承認などの屈辱的な条件を受け入れることになった。

戦後のギリシアとトルコ

ギリシアは第一次世界大戦において連合国側に立って参戦しており,これにより戦勝国となった。戦争終結後,「メガリ・イデア」(大ギリシア主義)のもとで領土拡大を追求するギリシアは,バルカン半島南東部のトラキアを獲得したほか,さらにトルコのアナトリア西岸のイズミルスミルナ)に侵入してこの地を占領した。

こうした状況のなか,トルコではオスマン帝国の軍人であったムスタファ・ケマルが,無力なイスタンブル政府にかえて,アンカラにおいて新たなトルコの議会と政府を樹立した。このケマルを中心とするアンカラ政府は,連合国による領土の分割やギリシアの侵入という国家存亡の危機のなかで,トルコ人とトルコの領土を守るための戦いに立ち上がった。

ギリシア・トルコ戦争とサカリヤ川の戦い

こうして,ギリシアとトルコとの間でギリシア・トルコ戦争が起こり,1920年から1921年の前半にかけてギリシアは軍は進撃を続けたが,これに対してケマル率いるトルコのアンカラ政府は決死の抗戦を展開した。

そして,1921年8月,トルコ北西部のサカリヤ川において,ギリシア軍とトルコ軍の間で決戦が行われた。この戦いでは,3週間にわたる激戦の結果,ケマル自ら指揮をとるトルコ軍が,ギリシア軍を退けて勝利をおさめた。

このサカリヤ川の戦いによって,形勢は逆転し,トルコが優位に立つことになった。この後,トルコは1922年にはギリシアをイズミルから駆逐し,1923年には連合国との間でセーヴル条約にかえてローザンヌ条約を結んだ。こうして,トルコはギリシアやその他の連合軍の支配をはねのけ,新たな国家の領土と主権を防衛することに成功した。