「威化島の回軍」 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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李氏朝鮮を創始した李成桂

<高麗を滅ぼして李氏朝鮮を創始した李成桂>

威化島の回軍」は,1388年,朝鮮の高麗の武将であった李成桂が,中国の明に対する遠征に向かう途上,鴨緑江の中州上の威化島において引き返し,高麗政府に対するクーデターを行った事件である。

高麗と元・明

朝鮮では,10世紀以来,高麗が半島を支配していたが,13世紀にはモンゴル勢力による征服を受けてに服属するようになった。しかし,14世紀後半には,元は崩壊してモンゴル高原へと退き,中国では新たにが成立する。

このような元明交替期において,高麗では,元あるいは明に対してどのような姿勢をとるべきかが最大の問題となり,親元派と親明派の対立が繰り広げられた。1351年に即位した国王は元の動揺を見て反元運動に立ち上がり,元に支配されていた朝鮮半島の北部の領土も奪回した。ところが,1374年に次の国王の時代が即位すると,親元派が権力を掌握することになった。

「威化島の回軍」

こうしたなかで,1388年2月,明が高麗に対し,高麗が元から回復した朝鮮半島北部の地域を明の領土とする旨を一方的に通告してくるという事件が起こった。これを受けて,高麗では明への対応をめぐって論争が起こったが,結局,親元派の政府は明と戦うことを決定し,武将の李成桂を指揮官に任命して中国への遠征を命じた。

同年4月,国王の命を受けた李成桂は首都・開京開城)から出陣し,北方の中国方面へと向かった。ところが,強大な明と戦うことの愚を理解していた彼は,5月,鴨緑江の中州に浮かぶ威化島において,思案の末に遠征を中止して逆に高麗政府に対するクーデターを行うことを決心した。彼は南へと引き返し,6月には都の開京に入って制圧した。この事件は,「威化島の回軍」と呼ばれる。

こうして高麗の政権を掌握した李成桂は,親元派を粛清して親明の方針をとりながら,国政の改革を進めていった。そして,その後,1392年には,自身が国王として即位し,高麗を滅ぼして朝鮮李氏朝鮮)を創始することになった。