<若きピョートル1世と「遊戯連隊」>
「遊戯連帯」は,ロシアのピョートル1世が,少年時代に結成した模擬的な軍隊である。
ピョートルの生い立ち
ピョートル1世は,1672年,ロシアのロマノフ朝第2代ツァーリ(皇帝)であったアレクセイと後妻の子として生まれた。
父であったアレクセイの死後,ツァーリの地位をめぐって,先妻の一家と後妻の一家の間で権力闘争が起こり,ピョートルもこれに巻き込まれていく。1682年,ピョートルは10歳にしてツァーリに即位したが,まもなく反対派による反乱が起こり,政治の実権は異母兄側の一家に握られた。
こうして政治から締め出されるかたちになった少年時代のピョートルは,母とともにモスクワのクレムリン(宮殿)を離れて,モスクワ郊外の村で暮らすようになった。
「遊戯連隊」
ピョートルは,郊外の村で過ごす間,軍事のことに夢中になった。15歳の頃,彼は,村の少年,貴族の子弟,宮廷の従者などを集めて,疑似的な軍隊を結成した。この軍隊は,「遊戯連隊」と呼ばれる。
ピョートルは,自らこの部隊を指揮して熱心に軍事訓練を行った。訓練はしだいに本格的になり,外国人村の将校や技師から技術を習い,本物の武器を取り寄せて,時には死傷者を出すほどの演習を行ったという。
このような経験を通じて,ピョートルは軍事の技術や戦略を身につけていった。また,このときにつくられた部隊は,後のロシア軍の中核にまで発展していく。こうして,「遊戯連隊」は,将来のピョートル1世の軍事的活躍を準備することになった。