東大世界史2015年第3問(7) 過去問題・解答・解説 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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東京大学2015年第3問(7)の過去問題と,東大世界史講師(管理人)が作成した解答解説です。

- 解く際の注意 -

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問題

インド南部にある,フランス植民地の中心だった都市の名を答えなさい。












解答

ポンディシェリ

解説

ポンディシェリは,インド南東部沿岸に位置する都市で,フランスのインド進出の拠点となった都市である。

フランスは,17世紀半ば頃からコルベールらの主導で重商主義をとって海外進出を本格化させていった。アジア方面では1664年に再建された東インド会社を通じてインド進出を進め,1673年頃にはインド南東部沿岸のポンディシェリを獲得した。以後,ポンディシェリは,ベンガル地方のシャンデルナゴルとともにインドにおけるフランスの主要な拠点となった。

この後,植民地抗争のなかで,オランダ・イギリスとの間で何度かの争奪戦が行われたが,ナポレオン戦争後はフランスが確保することになった。そして,インド独立後の1954年にインドへと返還された。