咸陽<秦>の地図と歴史 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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咸陽 地図

咸陽は,中国・陝西省の中西部,渭水の北岸に存在した,秦の都である。

春秋戦国時代

は,春秋時代の初期にあたる紀元前8世紀,周王から陝西省方面の地を封土として与えられて成立した国である。前7世紀の穆公の頃から,秦は西方において勢力を拡大していった。

戦国時代の前4世紀中頃に孝公が即位すると,法家商鞅による変法が実施されるなど富国強兵策が進められ,秦は一大強国へと成長した。この孝公の時代の前350年,現在の陝西省の中西部,渭水の中流域北岸に咸陽が建設され,秦の新たな都となった。

秦王朝

前221年の始皇帝による天下統一の結果,咸陽は,中国全土を支配する秦王朝の都となった。始皇帝によって全国各地から富豪が集められ,また阿房宮などの多くの宮殿が建設されて,咸陽は繁栄をきわめた。

しかし,前209年からの陳勝・呉広の乱を契機として秦の支配は崩壊し,前206年には劉邦が咸陽に入城して秦は滅亡した。そして,つづいてやってきた項羽によって,略奪されたうえに焼き払われ,咸陽は廃墟となった。

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