東大世界史2013年第1問 過去問題・解答・解説 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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東大世界史2013年第1問の問題と,東大世界史講師(管理人)が作成した解答・解説です。

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問題

17世紀から19世紀までのこうした開発の内容や人の移動,および人の移動にともなう軋轢について,カリブ海と北アメリカ両地域への非白人系の移動を対象にし,奴隷制廃止前後の差異に留意しながら論じなさい。解答は18行(※540字)以内で記し,必ず次の8つの語句を一度は用いて,その語句に下線を付しなさい。

アメリカ移民法改正(1882年)  リヴァプール  

産業革命  大西洋三角貿易

奴隷州  ハイチ独立

年季労働者(クーリー)  白人下層労働者

解答例

「17・18世紀には西欧の主導で大西洋三角貿易が活発に展開された。カリブや北米では砂糖などの商品作物の生産が行われ,これが西欧に輸出されて生活革命をもたらす一方,リヴァプールなどを拠点とする奴隷貿易により,減少したインディオに替わるプランテーションの労働力としてアフリカの黒人が輸入された。こうして中南米や北米では白人が黒人らを支配する体制が形成されたが,サント=ドマングでは18世紀末から黒人奴隷の蜂起が起こりハイチ独立が達成された。

18世紀後半以降,欧米で産業革命が起こると工業化が進んで生活や産業が一変し,自由な労働力の需要が高まった。これも要因として19世紀からイギリスなどで奴隷制が廃止されていったが,合衆国では工業化の進んだ北部と綿花プランテーションの発達した南部の奴隷州をめぐる対立から南北戦争へといたり,北部の勝利で奴隷制は廃止されたもののKKKによる迫害などの差別は残存した。

19世紀後半には,奴隷に替わる労働力の需要,蒸気船の発明などの交通革命,工業化による伝統的産業の崩壊などを背景に,移民が増加した。中国人などのアジア系移民は合衆国に渡り年季労働者として建設労働などに従事したが,職を奪われる白人下層労働者の反発を招き,アメリカ移民法改正で中国人の移民が制限された。」

※東京大学は,高校世界史の範囲内の知識は必要であると断ったうえで,論理性や表現力も評価の対象にすると公表しています。そこで,解答例は,①知識としては高校世界史の範囲内であること,②問題文の指定にしたがっていて論理が通っていること,③表現が日本語の文章として適切であること,という3点に留意して作成しました。なお,この解答例の作成にあたって,他の塾や予備校の作成した解答は一切参照していません。

解説

総論

問題文では,①開発の内容,②人の移動,③人の移動にともなう軋轢,の3つが主な論点として問われているので,この3点に対して明確に論じないといけない。

また,「奴隷制廃止前後の差異に留意」という付加的な指示があるので,奴隷制の廃止前と廃止後とで,人の移動にどのような違いがあったのかを示す必要がある。

さらに,リード文において指摘されている「交易活動」・「開発」・「商品」・「労働力」についても,解答において,その具体例にしっかりと触れることが望ましい。

奴隷制廃止前(17~18世紀)

開発

15世紀末頃に大航海時代が開幕して以降,スペインが新大陸に到達したのを初めとして,フランスやイギリスなども続き,ヨーロッパ諸国は南北アメリカ大陸やその周辺のカリブ海などの諸島へ進出していった。そして,商業革命によって,交易はアメリカ大陸も含む世界的なレベルで展開されるようになった。

17世紀頃からは,ヨーロッパ諸国は,カリブ海の諸島や北アメリカにおいて,ヨーロッパへ輸出するための砂糖やタバコなど商品作物のプランテーションの開発をさかんに進めたこうして生産された砂糖などの商品は西欧へと輸出され,生活革命をもたらすことになった

人の移動

カリブや北アメリカで生産された商品の西欧への輸出は,大西洋三角貿易の構造のなかで行われた。大西洋三角貿易は,西欧の武器や雑貨などの工業製品がアフリカへ,アフリカの黒人が奴隷としてカリブや北アメリカへ,そしてカリブや北アメリカの砂糖やタバコが西欧へと輸出されるという構造で展開された貿易であり,主に17世紀から18世紀にかけて,西欧諸国の主導で展開された。

このようにして,大西洋三角貿易の構造のなかでアフリカの黒人は奴隷としてアメリカに運ばれたイギリスのリヴァプールは,そうした奴隷貿易の拠点として栄えた都市である黒人たちは,南米のほか,カリブ,そして北米においても導入されて,奴隷としてプランテーションで使役された

軋轢

こうして,カリブや北米においては,少数の白人の地主らが黒人奴隷らを支配する厳しい階層社会が形成された。

しかし,18世紀末には,カリブ海に存在するフランス領のサント=ドマング島で白人の支配に対する黒人奴隷の蜂起が起こり,トゥサン=ルヴェルテュールの指導する闘争を経て,19世紀初めに初の黒人共和国ハイチとして独立した

過渡期(19世紀前半頃)

社会・経済の変化

18世紀半ば以降,イギリスをはじめとする欧米諸国で産業革命が進行していく産業革命の結果として工業化が進み産業の構造が転換していき,これにともなって,コストが安いものの非効率で自由がない奴隷の必要性は相対的に下がり,自由な労働力の需要が高まった

また,18世紀末頃から,国際貿易においてカリブで生産される砂糖の重要性が下がっていき,これを受けて奴隷貿易や奴隷労働の経済的意義も低下していった

奴隷制度の動向

産業革命による経済構造の変化や,国際交易における砂糖の重要性の低下に加え,イギリスのウィルバーフォースらによる人道的立場からの奴隷制度反対運動もあって,19世紀初めからイギリスを初めとするヨーロッパの国で奴隷制廃止の動きが進行していく

まずイギリスでは1807年に奴隷貿易が廃止され,さらには1833年に奴隷制自体が廃止された。イギリスにつづき,フランスでも1848年に奴隷制度が廃止された

しかし,アメリカ合衆国では,工業が発展し自由な労働力を必要とする北部と,農業が主産業で綿花などのプランテーションの労働力として奴隷を必要とする北部との間で,奴隷州,そして奴隷制度をめぐって衝突が起こることになった。19世紀前半より,南部と北部の間で,新設の州を奴隷制度を認める奴隷州とするか,それを認めない自由州とするかをめぐって対立が起こっていたが,さらに奴隷制度そのものの是非を問う対立へと発展し,1861年には南北戦争が発生した南北戦争は北部の勝利で終わり,その結果,憲法修正第13条によって奴隷制度の廃止が規定された。ただし,その後も黒人は,黒人取締法の制定やKKKによる迫害などの社会的な差別を受けた

奴隷制廃止後(19世紀後半)

開発

19世紀後半には,欧米で重化学工業を中心とする産業が発展する第2次産業革命が起こったが,特に,南北戦争で勝利した北部が政策を主導するアメリカ合衆国では工業化が強力に進められ,工業生産が飛躍的に発展した

人の移動

産業革命にともなって,鉄道や蒸気船が発明されて普及する交通革命が起こっていたが,こうした交通の発展により人の移動が促進され移民が増加した。また,工業化の進展は,伝統的な社会や経済のあり方を変化・崩壊させることにもなったが,そのようにして生活の基盤が失われた結果として移民となる者もいた

そして,アメリカ合衆国について言えば,工業化の進展により建設業などを担う労働者の必要性が高まり,また奴隷制度が廃止されたため農場においても奴隷に代わる安価な労働力が求められるようになっていた

これらの状況を背景に,19世紀半ば以降,中国人を中心とするアジアからの多くの移民がアメリカ合衆国に渡ったこのようなアジア系移民は,安価な労働力として,建設業や農業に従事した。中国系移民はアメリカ大陸横断鉄道の建設労働などに従事したことでも知られる。

軋轢

こうしてアジアからの移民が安価な労働者として流入すると,移民と白人下層労働者とは,低賃金の職をめぐって競合する関係となった。そのため,アジア系移民は白人下層労働者から敵視され,このような状況を背景として,1882年には移民法が改正されて中国系の移民が制限された