北宋時代の個人的思い出 | 愛しき日々

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 そうだ、宋だった。

 と、オヤジギャクっぽく始めてしまったが、大河ドラマ「光る君へ」を見ていて思い出した。

 

 大学の卒論は中国、北宋の時代のあることについてだった。当時の東アジアはこんな風です。

 

 中国は唐の晩期は荒れて、五代十国という国々の乱立する時代を経て、宋王朝が統一をする。首都は東京開封府。人口100万人を超えたという。都市の発達で商業が発展し、街は賑わった。有名な絵画「清明上河図」が当時の開封を伝える。

 

 「光る君へ」は折に触れて平安王朝時代が国風文化という純国産の印象があるのに対し、漢詩や儀礼など当時の漢文化の影響を伝えて、奥行きをつくっているところが面白い。前回も紫式部の父・為時が若狭の国司に任ぜられ、松原客観という貿易の窓口になった場所で宋人と交渉するところを描いている。調べると松原客観の前の時代の渤海国との交易窓口以来の歴史があるようだが、考古学的裏付け、つまりどこに所在したかはまだ分かってないようだが。

 平安時代の文化は、今に日本らしさを伝える。それは東アジアの辺境の国ではなく、自らのアイデンティティをしっかり持ったがゆえだろう。

 

 主人公まひろがふれた「碧巌録」の中にこれも有名な一文がある。

 「百花春至って誰が為にか開く」。

 春になって咲く花々は誰かのために咲くのではなく、自ずと花を開かせる。それを誇ったり、誰かのためであったりするわけでもなく。そんな風に生きたいけれど。なかなかそうはいかない。