愛しき日々

愛しき日々

田舎暮らしも長くなりました 仕事に地元に自分の世界にいろいろやってます
好きな人、好きなものについて率直に書けたらいいですね

 前回のブログで中々芽が出ないことについて書いたが、今週の水曜の朝に朗報が届いて長い時間かけて出なかった成果が一つ出た。

 そんなわけでちょっと浮かれて午前中の用事に出かけようとした。一度琴浦船上山インターから上がって山陰道に入ったがネクタイを忘れたので降りて戻り、再びインターから上がった時に前のクルマがブレーキランプで減速を促してきた。事故らしい。

 

 琴の浦パーキングより先だとパーキングで迂回可能だが、動かないことからパーキングの手前だろう。おそらく1キロくらい前だ。上りも下りも動かなかったが、私の走っていた上り車線は動かず、下りは30分後くらいに動き出した。

 

 ということで青天の大山を長い時間見つめることになった。手前に見えるワイヤーが対面走行の間にあるのだが、この前もこれに引っかかって事故をしている車両を見たばかりだ。山陰道のいろんなところでそんな事故の跡を見つけることができる。反対車線に飛び出す重篤事故を防止するためのものだが、脇見運転が多いんだろうか?

 

 9時45分頃に停まって、結局動き出したのは12時30分くらい。2時間45分くらい足止めをくったことになる。予想した以上に長~かった。バックミラーには私の会社も見えた。午後からは大事な会議だったがこちらは何とか間に合ったがヒヤリ。

 若い頃はクルマを凹ます物損も何回かやったが、近年は落ち着いた運転、周囲確認を心がけている。何とか無事故を続けたいものだと思った半日だった。

 

 

 

 今日もあれこれ頑張って、23時を回る。干物のようになった自分。

 

 庭にどくだみの花が咲いている。特徴のある花は暗い時間でも目につく。

 

 

 私の親は薔薇が好きで、いろんな薔薇を植えている。近くで見るとなお美しい。

 

 

 少しづつ気温も上がってきていると同時に、空気が湿り気を帯びてきた。梅雨入りも近いのだろうか。

 

 今日は藤井聡太八冠が名人戦で豊島九段に快勝。名人位を初防衛した。注目は今月31日に行われる叡王戦第四戦、伊藤匠七段との同学年対決に移る。ここまで1勝2敗と負けが先行した藤井八冠はこの戦いに敗れると初の失冠になる。踏ん張り切れるだろうか。

 

 いろんなことにこつこつと地道に当たるのが自分の持ち味ではあるが、なかなか芽が出ない分野もある。そうやって振り返ると私も藤井八冠のように追い詰められている気持ちにならないわけではない。

 考え方を変えてみよう。羽生善治九段。若い頃は圧倒的強さを誇ったが年齢も50歳を越え、往時の勢いはない。それでも昨年はタイトル戦で藤井八冠と勝負をしたし、まだまだ自分の境地を探究している。さらに年齢が上の谷川浩司永世名人も若い棋士たちに押されながらも現役で頑張っている。果たしてどんな心境なのか、何をモチベーションに励まれるのか、などど考えれば私の悩める姿は小さく思えてくる。

 

 誰しも自分の思う通り、うまく行っている人なんてほぼいない。挫けない心を養い、これからも自分史上最高の今日を作っていきたいものだ。おやすみなさい。

 

 

 また一日が終わる。

 一日のはじめに今日やりたいことをメモしておき、優先順位をつけ一つひとつ潰していく。

 たいていはすべてはクリアできない。それは明日以降やればいい。あまり完璧を求めるとくたびれてしまう。

 今日は3分の2くらいはできたかな。それでよしとしよう。

 

 前回、だんだん好きになるアルバムのことを書いた。今回は逆に疎遠になっていったこと(主に人たち)のことを考えてみた。 50年以上生きてきて、いろいろな出会いがあった。世の中、いろんな人がいるもんだというのは身にしみた。

 まず、悪口を言いまわすタイプの人とは距離をとった。私の前で誰かの悪口を言うのであれば、他のところで私の悪口を言っていてもおかしくはない。

 常にマウントを取るタイプの人。付き合っていて疲れる。私自身が誰かに合わせて生きる、自分を表に出すのを好まない(あまり自分のことを話したりしない)ので、あまりに強烈な人とはやはり距離を置いてきた。

 学生時代の同級生も、いろんな人がいたけれど、直接付き合いがある人はわずかだ。若い頃はなるべくつながりを保つよう努めていた時期もあったが、年をとると面倒が先になってしまった。

 仕事上ではいろいろと支えていただいて感謝だが、中には会社を離れたり、団体活動の中でも顔を見なくなってしまう人もいる。大切に思っていた人がそうだとやはり寂しい。己の心の狭さを痛感してしまう。

 人間関係はくたびれることを多く経験したので、気心が知れた人たちと、たとえ少なくても長~く付き合いたいものだ。そしてそれ以外の人たちとも上手に付き合いたいものだ。いずれ老いや死が訪れ、別れがやってくる。争いごとは面倒だ。うまく、しんわり年を取っていきたい。