もう一度行きたい場所・ヨーク6 | コノミばあちゃんが行く

コノミばあちゃんが行く

気づけばいつの間にか高齢者。
気分だけはマイナス30歳で生きていますが、時々身体的に歳を自覚させられます。

この続きです。




ヨークミンスターの荘厳さにすっかり魅了された私は、帰るまでにもう一度行きたいと思った。

メインの大きな礼拝堂の裏手あたりも歩いてみたい。


昼間はセミナーで時間がない。

夕方は食事をしたりで忙しい。

そう思って、朝早く再訪した。


そんなふうにふらりと行ったのだから、当時、大聖堂は特に拝観料もなく、開かれていたのだと思う。


小さなお御堂では、ミサ?をしていた。

地元の方々のようだ。

20人足らずの人が集まっていた。


神父さま?牧師さま?司教さま?それとも、そのどれでもなかったのかもしれない。

つまり司会の方が前にいらして、何やらお話をなさっている(たぶん説教)。

少しその空間に身を置きたくて、立っているのも失礼かと思い、最後列の端っこの空いている椅子にそっと座った。


言葉はほとんど聞き取れず、何を言っているのか全くわからなかった。

そのうち、交互に言葉を発する問答的なものが始まった。

何かを読んでいるのか? 聖書の一節などを交互に暗誦しているのか?


少し居心地が悪くなり、そおっと席を立った。


昔、牧師さんが、

『教会は、いつでも誰にでも開かれています』

とおっしゃっていたのを思い出して、隅っこにお邪魔したのだけれど、失礼になっていたのではないかと気掛かりのままである。



ヨークを後にする日、セミナーでお世話になった先生が、駅まで見送りに来てくれた。

ホームから窓越しに、綺麗な薔薇の表紙のノートを渡してくれた。

あのノートは、どこに置いただろう。


たった数日、ヨークで過ごしただけなのに、列車がロンドンに着いてタクシーに乗ろうとしたら、もう周りの雰囲気が違うことに気付いた。


なんと言うか、空気がピリピリしている。

鞄をしっかり持って、神経を尖らせて、油断をしないようにサッサと歩く。


ヨークに行く前のロンドンは、そんなに治安が悪いとも思っていなかったし、日本ではないので緊張はしていても、そこまでではなかった。

ヨークのおおらかさと温かさに、甘やかされてしまったか。


あれからもう20数年。

古き良き美しいヨークの街は今、どうなっているだろう?

ミンスターも城壁も石畳の道も、あのままだろうか。

それともあちこちに、近代化の波が来ているだろうか。


生きているうちに、もう一度行きたい。

どういうわけかあの街に、魂の片鱗を置いてきたような気がする。

それを回収しに行きたい。


でももしかしたら、思い出の箱はそっと閉じておいた方が良いのかもしれない。