長嶋一茂母の遺言! | ののののブログ

ののののブログ

LAに住む引きこもり。猫より猫らしく暮らしてます。。時々、日本に帰ったら走り回ります。


知覧特攻平和会館に噴水が作られたのは、長嶋一茂さんのお母様の遺言だったとは。。



長嶋一茂さんのお母様は、霊感強かったのかも。。


霊感少女も頷きます。。

水辺に霊が寄ってくるは、あると思います。。


もれなく「知らんけど。」

をつけさせていただきますが。。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


記事抜粋。。↓


一茂は「天国に行った母親が生前、僕と話していたことがあって」と前置きし、母・亜希子さんから生前、託された思いを語った。それは、第2次大戦の沖縄戦で特攻して散っていった特攻隊員に対するものだった。


 「遺言で、大戦中に英霊たちが散っていった、鹿児島に知覧っていう基地があるんですけど、おふくろいわく、“英霊の人たちはいつも喉が渇いてる”。だから、いつもお参りに行く時、ペットボトルで水を持っていくんだよね、うちのおふくろは。大変だねという話をしていて」。亜希子さんは「“あなたね、いつか水辺を作りなさい”と。水辺というのは、噴水のことなんだよね。“常にお水が出ているような、噴水を作りなさい”と」と、一茂に言っていたという


 亜希子さんは07年に死去した。「おふくろが亡くなったのが2007年なんだけど、忘れてたんだよね。俺、その遺言を。ある時急に、2010年後半とか11年近くになってから、“あっ、そうだ”と思って、おふくろが言ってたなと思って」。一茂は母の生前の思いを、形にすべく動いたという。


 一茂は特攻隊員たちを慰霊する現地の施設に掛け合い、噴水の建設を提案した。「“これこれこういうことで、ご寄付をさせていただきたい。うちのおふくろが、英霊の人たちはお水が必要だから、僕とかそちらが発端となって、噴水を作りましょう”って。そしたら南九州市長までみんな来ちゃって。みんなで作りましょうって話になって」。地元も協力的で、22年には実際に噴水が完成したという。 


完成から2年以上経過しており「見に行きたいな~って思ってたら、この人が先に行っちゃったの。びっくりしちゃって」と、隣に座る石原良純が一茂よりも先に、噴水を見に行っていたと告白。良純は「すごい立派な噴水があって、(説明を)見たら長嶋さんの名前と、お母さんの名前があって」と驚き、すぐに一茂に連絡をいれたという。


 だが、その連絡があった後も結局、一茂は噴水を見に行っておらず、高嶋ちさ子も「ハワイより近いのに…」とあきれていた。