一人でできることは? その1 | 明日のわたしへ

明日のわたしへ

昨日のわたしが今日のわたし、明日のわたしとは限らない。だから、わたしは明日のわたしに記録を送る。
⭐︎「白い狼のため息」の過去ページをこちらに移しました。

一人でできることは? その1

 18の時に、キリスト教会で洗礼を受け、教会学校の教師をやり、牧師たちと聖書や社会についての学習をする中で、政教分離や天皇制問題、反戦運動に出会った。わたしは同日に洗礼を受けた人と結婚した。

 子どものアレルギーをきっかけに生協に入会し、反原発運動にはまって、青森の六ヶ所村核燃料再処理工場反対デモからチェルノブイリ原発被害調査にまで行ってしまった。
 わたしの子どもたちが次々に不登校を選択したので、フリースクールも少しつまんだけれど、その主体はやはり子どもなので、わたしの中では育たなかった。反原発運動に夫も参加したが、市議会議員と親しくなり、事務局長になって、選挙運動にはまっていた。また省電力で暮らす実験をして仲間と共同で本を発行するなど、同じ反原発でも夫はわたしとは違う方向を向いていた。わたしも一時期、選挙運動を手伝ったが、求めるところが夫とは噛み合わなかった。

 わたしは反原発運動の中で、「核汚染で障害児を産みたくない」という差別に反発したり、「汚染食品を誰が食べるのか」という問題から世界の貧困の構造を考え、「核の現場で働く労働者」の存在に悩み、そんな中で出会った人から知った日雇労働者への差別、死刑制度の矛盾と、わたしの関心は差別の問題へとひろがっていった。

 結局、わたしと夫とは深い溝ができ、離婚したが、わたしは妊娠して働けなかったので、すぐに生活保護を申請した。わたしのお腹の子の父親は夫ではなかったので、そのことを良くないと思う運動仲間たちとは縁が切れた。元夫と仲良かった仲間たちは仕方がないが、道徳などを重んじる人とは、こちらから願い下げだ。「現代の伊藤野枝」と伊藤ルイさんからは言われた。さすがだ。あの頃、福岡にはルイさんがいてくれたんだよね。(え?褒められたんじゃ、、、)
 婚外子を迎えるために、戸籍制度解体、婚外子差別反対という運動をはじめた。でも、そこで出会ったフェミニストが、「日雇労働者はお金が入ったら女性を買いにいくのがね」と言うのを聞いてガッカリした。みんなじゃないけど、マイノリティ同士の差別は悲しい。子どもが生まれて、保護課から就労指導が厳しくなり、産後4ヶ月から保育園に預けてバイトに出た。
 考古学穴掘り(遺跡掘り)は、後期高齢者のあまりに酷いセクハラにブチ切れそうになりながら耐えたけれど身体が持たずに2度目の夏で退職。
※「一人でできることは? その2 」へつづく

 

画像 生成りのトートバッグ、左側にノンバイナリーの旗バッジ、中央にチャウヌさまのお顔の缶バッジ。