一人でできることは? その2 | 明日のわたしへ

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昨日のわたしが今日のわたし、明日のわたしとは限らない。だから、わたしは明日のわたしに記録を送る。
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一人でできることは? その2

 それから、某生協に事務パートとして雇用され、パート労働者の使い捨て、人権無視に腹を立て、二つある労働組合のうち、少数派のほうに加入した。わたしの経験したなかでは一番やりがいのある運動だった。順番に委員長もさせてもらい、好きなことを散々やった。団交はもちろん、生協事務所敷地内で昼休み情宣にストライキもした。次々に、目標を獲得した時の満足感。他の市民運動から応援されたり、応援したり、地域の、そして全国の労働組合との連携も力強く、嬉しかった。あの頃が、一番楽しかった。
 
 しかし、わたしは家庭のことや、自身のトラウマもあって、精神科に通うことになり、休職し、運動もお休みした。その後、職場復帰を2度したが、最後は退職した。もちろん、その前に退職金アップを申し入れ、団交、労働委員会斡旋もやって、アップを勝ち取った。最後の闘いも楽しかった。

 その後、弾圧救援の会の事務局を10年やった。これもなかなか楽しかった。弾圧は敵が権力とハッキリしていて、獲得することもわかりやすい。街頭情宣は文句なく楽しかった。特に警察への抗議は気分がスカッした。しかし、多様な背景、様々な経験を持つ、一癖も二癖もある仲間たちと深い議論をすることはなかなかのストレス。特にネットなどで得た知識のある者とない者の考えることは温度差や微妙な感性のちがいがある。求めるところが変わっていくわたしと変わらない人たち。まあ、色々あり、やめてしまった。

 2022年2月24日、突然、ロシアがウクライナに侵攻を始めた。戦争が始まった。ウクライナに行ったことがある。ウクライナの人から世話になった。あのウクライナへの破壊、殺戮を許してはならない。まだ、誰も街頭を呼びかけない。一人でも言い出しっぺが必要と思った。当日、慌てて作ったプラカードをいくつか持って行った。他の人もプラカードを作っていた。「呼びかけ、ありがとう」と言われた。新聞記事にもなった。前日のSNS告知で10人の参加。翌日は23人だった。一人でもできるじゃん。(え、これは一人じゃない?そうじゃなくって)

 死刑廃止と天皇制は、古い仲間とずっとやってきて気心が知れ、緊張感もなく継続してきた。でも、最近、一人でやりたくなった。ずっと、誰かと一緒に運動してきた。家の中でも、ずっと誰かと一緒だった。

 色々考えて、一人でやってみたい…と思っていたけど、喋れなくなった。思っている言葉が発語しない。言葉がもつれる。うーん。こりゃ、ネットしか居場所がないかも。主治医は、「鬱でしょう。無理せず、人と関わらないで過ごしてみては?」「そうですね」は言えた。診察でもしどろもどろ。単語がでない感じ。家族ともうまく喋れない。

画像 チャウヌさま所属のアストロのメンバー6人がオープンカーに乗ってポーズというマウスパッド。右上に鉛筆やボールペンが刺さった缶。左上に錠剤がたくさん入った缶。さらに左に絆創膏の箱。上の真ん中にMoominと書かれた缶。左側にパソコンが見える。チャウヌさまのシール。ピンクのマウス。