母の死part1

母の死part2

 

 

母に頂いたお花です。

喪を意識した美しいアレンジメント。

母の仏前には持っていかず、

家に母が来てくれているイメージで

窓際に起き、お線香を焚いたり、

私の食べ物をちょっと供えたりしています。

 

 

昨日、12月3日は七日ごとの供養の当たり日。

仏教では、追善供養と言って、

七日ごとに供養をするそうです。

 

 

父は初七日の間は毎日

お墓に行き供養をし、

7日毎にもお墓に行って拝み、

昨日も、長男である兄を呼びつけて

早朝からお墓参りにいったそうで・・・

 

 

父、母の亡くなる1年前から、

死んでからも必死(笑)

あ、ここ笑うところではないんですが、

しかしながら、母があの世に成仏できるよう、

出来る限りのことをしているみたいです。

 

 

仏教ってすごいな~、とこの度

改めて思いました。

 

 

四十九日までずっとこうして

故人を供養して、あちらの世界に

ご先祖様に誘ってもらえるように

するのですから・・・

宗派によっては違うでしょうけど。

 

 

残された者たちが、

追善供養をすることにより、

それが故人の善業(善い行い)とされ、

それによって良い場所にいけるそうです。

 

 

ということは、故人が何処に行けるのかは

残された私たちにもかかっているってこと。

追善供養って大切なのね、と思った次第です。

 

 

5週目には閻魔様が、故人の行き先を

決める日だと言われているそうです。

母にとっての5週目は12月17日。

その日が審判の日。

母が良い場所にたどり着けるよう、

供養を続けたいと思います。

 

 

 

 

 

さて、先日、夢か現実かわからないような

リアルな夢をみました。

こんなにリアルな夢は二度目です。

 

 

リアルすぎて、頭のなかでは

「これ、夢なのに、何?この現実感!!

いや~、マジすごいわ!」とか、

驚きながら夢の中を楽しみました。

 

 

母の夢を見ました。

 

 

実家で、父と言い合いになった私は、

文句ブーブー言っていたら、

縁側の方から母の声がしました。

 

 

「ほんと、お父さんはめんどくさいんだから!

ほっときなさい!」という母の声。

 

 

私は、「え?母の声?死んだんじゃないの?」と

思ったけど、頭の中の何処かでは、これは夢、

というのもわかってて・・・

 

 

そして、しっかしリアルな夢だわー。

こんなに現実っぽい夢、すごいー!

とか思っていたら、母が現れました。

 

 

若いときの母でした。

柄物の割烹着を着て、もしかしたら、

今の私と同じくらいの年齢かな・・・

昔の50歳は老けていたのでね。

 

 

私は「え?お母さん?お母さん、生きてたの?」

と涙ながら、母の顔やら肩やらお尻やらを

手でパンパン軽く叩きながら確かめ、

そして、泣きながら抱きしめました。

 

 

生まれて初めて、母をハグしました。

あの感触もリアルで、驚くわ~。

だって、本当に感触があるんだもの。

 

 

ハグなんてしあったことが

一度もない私たちは、

夢の中で抱きしめました。

 

 

母は「どうしたの?何で泣いてんの?」

と笑いながら、私の身体をパンパン叩いて、

母の手のぬくもりを感じた途端、

目が冷めました。

 

 

起きた瞬間、

「すっごいリアルな夢!」と一言。

以前も、現実と夢の境がわからぬくらい

現実感ある夢を見たことがありまして、

こうやって、会いたい人には会えるんだ・・・と

思った次第でした。母にはまた

夢の中でもいいから会えたらいいな・・・

 

 

で、昨日は、父と姪と私で、母の若き頃の

写真を引っ張り出し、懐かしく写真を見ました。

父は懐かしそうに、そして寂しそうに

あの若かりし頃の自分たちの姿を見て、

目を細めていました。

 

 

これぞ本当の供養だな、と思いました。

故人が亡くなって、少しずつ少しずつ

その環境にも慣れてきて、そして

少しずつ少しずつ、思い出す回数も減ってきて。

 

 

 

 

 

実際の所、親を亡くす、という経験は

特別なことでもなければ、

誰もが経験することで、こんなに何回も

記事にすることの程でもないかもしれませんが、

これは、自分の備忘録も兼ねての、

母への供養でもあります。

 

 

そして、こうして心の整理も

文章化して、するようにしています。

 

 

何度でも思い出すこと、悲しむこと、

故人を懐かしむこと、泣くこと、

残されたものが前を向いて歩むこと、

どれをとっても、故人への供養になる、

ということがわかりました。

 

 

それが最高の供養だと。

 

 

今年のクリスマスイブも、大晦日も

クリぼっち、1人年越しの予定でしたが、

(オール仕事デーの予定だった)

今年は母が家族を集結させる模様。

 

 

イブの日は追善供養の日、31日は四十九日。

今年の締めくくりは、母の思い出にまた浸り、

そして、新しい年2018年を迎えます。

 

 

姪は受験生なので、

昨日は試験勉強に付き合うつもりでしたが、

最新号のSCREENに興奮気味で

二人でかっちょええ、外国人スターを

眺めては、ヨダレを流していました。

 

 

 

 

 

日本人に魅力を感じない、と言っている姪。

「将来は、国際結婚する?」と聞いたら、

いった言葉は、さすが渡邊家の血筋!

 

 

「書類書くの面倒くさい」だそうで(笑)

 

 

どんな面倒な書類を書くというの?

日本人と結婚しても書類は書くよ?

もし、姪にそんな素敵な人が現れて、

プロポーズされたら、姪は

「書類書くのが面倒だから断る!」とか

言うのかな・・・

 

 

ああ・・・言いそう(;´Д`)

 

 

どうか国際結婚して、

ハーフの子供を抱かせて欲しいな。

勝手な妄想で胸が一杯になったのでした。

 

 

実家から自分の家に帰るとき、

母が帰り際にいつも

「気をつけて帰るんだよ。

あまりスピード出さないように」と

声をかけてくれたのですが、それも今は

聞くことないのか・・・とちょっと

寂しい気持ちになっていたら、

父が同じ言葉を掛けてくれました。

 

 

そう言えば、今思い出しましたが、

母の私への最後の言葉もそれでした。

相当私がワイルド・スピードするのを

知っていたのかも(笑)

 

 

母の初七日の日、実家に行く時に

高速道路で白バイに追いかけられて、

危うく捕まりそうになったのを回避できたのは、

もちろん偶然なんでしょうが、

もしかして母が、「スピード出すな!」って

言ったのかもしれないな、と今思いました。

 

 

そんな勝手な意味付けをしながら

母との会話を楽しんでいるのでした。

それもまたありだな、と。

 

 

親の死からは、たくさんのことを学べます。

だからこそ、恐れている人へ伝えたいのは、

「大丈夫!」ということと、

むしろ、感謝の念と尊敬の念と、

残された者の務めと、最高の故人への供養は、

自分が喜びをもって生きることであることを知る

いい機会になる!ということを

伝えたいと思いました。

 

 

生きているうちにできること。

今のうちにやれること。

後悔なき親との関係を培うこと。

それは親のためではなく自分のため。

 

 

順番で行けば、

必ずや親が先に逝くのですから。

 

 

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