一人旅って、一人であるように見えて、

実は一人では決してできないものである。

行く先々で、見知らぬ人の、

力を借りなければ何もできない。



「下手な英語を使って、その日をなんとか乗り越える。

 くよくよしてる暇もないくらい忙しかったですね。

 世界中のバックパッカーと同じ宿に泊まって、

 一緒にゴムボートで激流を下ったり、

 馬に乗って森の中を駆け回ったり。

 一番究極は、スカイダイビングをしたんですよ」



トムさんの声が躍っている。



「空中に身体を放り出されて、

 宙を舞いながら地上に降りていく。

 みんなは怖いと思うかもしれないけど、

 僕は『生かされてる!』って思いました。

 自分は自分じゃないものに生かされてる。

 身を委ねても、大丈夫。信じられる。

 自分の枠の中を超えた体験をすると、

 どん底まで落ちても『何とかなる!』っていう、

 強さが芽生えるんですよね」



とはいえ、空の上から飛び降りたからって、

その後の人生が急に順風満帆に転じるわけでは毛頭ない。



「日本に帰ってきたら、行き過ぎる人が皆、

 目が合っても、すぐ目をそらすんですよね。

 一気に閉塞感に引き戻されました。

 日本では、自分をなくして生きなきゃいけない。

 自分をなくさなきゃいけない、みたいな感覚に」



「感受性!」

このとき、録音の中で私はトムさんに叫んでいる。

感受性! トムさん、それ、ただの感受性!



通行人の眼差しの方向なんて、

感じないようにして、みんな生きてる。



感受性をある程度、閉じながら生きる。

それが生き抜くための暗黙のルールだったりする。



トムさんは、それを、閉じなかった。

閉じなかっただけなのだ。



それまでボランティアとして参加していた介護の仕事に、

プロとして取り組むようになった20代の頃、

彼はとある事業所の所長に出会う。



「やっぱり僕のことを家に誘ってくれて、

 いろんな相談に乗ってくれて。

 僕が10代で受けた人格否定を、

 悔しい、悲しい、見返してやるって泣いていたら、

『気持ちはよくわかる。

 でもその人たちと同じ土俵に乗ることが、

 本当に君の幸せか?』って。

『君が今している活動は、

 すでにその人たちを超えているよ』って言ってくれたんです」



そうか。あの大人たちとは違う、

もっと大きな可能性が、自分にはあるのかもしれない。



「そのまま自分探しみたいなことを始めて、

 自己啓発にのめり込んだんですね。

 でもいろいろと学び尽くしたけど、どれも結局、

 ひとつの悩みや問題に対する対処療法にすぎなくて。

 そうじゃなくて、もっと本質的に、

 人が幸せになる、喜びを感じて自分らしく生きるには、

 どうしたらいいのかっていう問いに、

 最終的にたどり着いたんです」


続きは次回へ

18歳で定時制高校に入り、20歳で卒業を迎え、

理学療法や作業療法を学ぶべく、

そういった大学を目指したけれど、受験に失敗。

浪人生活に突入して、予備校に入り、

そこで、あるキーパーソンと出会う。



「英語の先生でした。

 家によく誘ってくれて、勉強だけじゃなく、

 人生全般について、いろんな話を聞いてくれた。

 そこで、ニュージーランドへの語学留学を勧められたんです」



ニュージーランドへ語学留学。

そんな選択肢、考えたこともなかった。



「その頃の僕は、かなり鬱になっていたんですよ。

 限られた人としか関係性を作れなかった。

 英語だってできないし、不安しかないはずなのに、

 とにかく行きたい!っていう気持ちの方が、

 ずっと上回っていたんですよね」



「とにかく行きたい」。

この強い思いが、いつも彼を突き動かす。

ドアの開け方や足の踏み出し方よりもまず、

「行きたい!」。その思いが原動力だ。



「すごく追い込まれていたから、

 その反動みたいなものですよね。

『俺は生きてるんだ!!!』みたいな(笑)。

 生きる力、生きたい力が内にあって、

 それが長年押し込められているんだけど、

 あるタイミングでドーン!と爆発して、

 海外へ単身留学。すごい極端ですよね(笑)」




自分は何ものかに

生かされている




1ヶ月間のホームステイと語学スクール。

ある時、ホストファミリーがこんなことを言った。



「彼らは僕の下の名前を取って、

『トム』と呼んでくれていて。

『英語ができなくて恥ずかしいと思ってるかもしれないけど、

 私たちは、あなたが感じていることを、

 ひと言でもいいから知りたいの。

 単語や発音が間違っていても、

 かまわずそれを伝えてほしい』と」



自分は、ここにいていい存在だ。

受け入れてもらえる存在なんだ。

そのことが、彼に力を与える。



「僕の居場所は、学校にはなかったけど、

 違う世界に飛び込むことによって、

 出会う人たちの中に、常にあったんです。

 1ヶ月の滞在予定は終わったけど、

 僕のビザはあと2ヶ月使えたので、

 帰国せずに、バックパッカーとして、

 2ヶ月間、一人旅をしました」


「車椅子の、身体が不自由な方が、

 一人暮らしをしているんですよ。
 当時の僕にとって衝撃的だったのは、
 その人が、めちゃめちゃ笑顔だったこと。
 何をするにも、人の手を借りなきゃいけないのに、
 彼はその人たちと笑顔で話していたんです」


何だ、これは。
そんなふうに思った半月後、
彼が住む地域で、障害を持つ人の、
話し相手のボランティア募集記事が舞い込む。


「行きたい、と思いました。
 僕は人と関わるのは無理だと思っていたけど、
 なぜかそれだけは、行きたいと思った」


長らく引きこもっていた人にとって、
玄関のドアを開けることは一大事であるはずだ。


「外へ出るっていうことよりもまず、
『あそこへ行きたい!』っていう思いの方が強かった。
 行きたい、会ってみたい。
 その思いだけが強烈にありましたね」


ドアの向こう、まだ見ぬ先へ。
行きたい。行こう。行くのみだ。


そこで彼は、バイク事故で頚椎を損傷して、
首から下を動かせない青年と出会う。


「20歳までは元気だった人なんです。
 だからその障害をどう受け止めているのか、
 単刀直入に聞いてみたんですね」


するとその人は言ったという。
「受け入れないとしょうがないでしょう」。


「自分はこうなったんだから、
 その中でできることをやるしかないよねって、
 淡々と言うんですよ。
 自分にできないことを手伝ってもらいはするけど、
 自分の人生を人に託してるわけじゃない。
 自分の人生は、自分が舵を切る。
 すごく主体的な生き方をしているんですね。
 自分はこの人と一緒に歩んでいきたいと思った」


その人とはその後20年近く、
交流があったという。


「彼は身体が不自由で、生き方が自由。
 僕は身体が自由だけど、生き方が不自由。
 その、互いの強みと弱みをかけ合わせて、
 ギブアンドテイクでやってた感じですね」


障害者と健常者――という言い方が嫌いだと彼は言うが――、
その両者の共存を目指すボランティアに、
彼は足繁く通うようになる。


「ごく当たり前の、恋愛の話とか、
 結婚の話とか、将来の夢について話したり、
 飲みに行ったり、カラオケに行ったり」


今まで自分の内側にばかり目を向けて生きてきた世界から
身体に困難さや不自由さを抱えていても心は自由で縛られない彼らの生き方に
いつしか心を開いて自分らしさと自分の居場所を見つけていることに気づき始めた。