「車椅子の、身体が不自由な方が、
一人暮らしをしているんですよ。
当時の僕にとって衝撃的だったのは、
その人が、めちゃめちゃ笑顔だったこと。
何をするにも、人の手を借りなきゃいけないのに、
彼はその人たちと笑顔で話していたんです」
何だ、これは。
そんなふうに思った半月後、
彼が住む地域で、障害を持つ人の、
話し相手のボランティア募集記事が舞い込む。
「行きたい、と思いました。
僕は人と関わるのは無理だと思っていたけど、
なぜかそれだけは、行きたいと思った」
長らく引きこもっていた人にとって、
玄関のドアを開けることは一大事であるはずだ。
「外へ出るっていうことよりもまず、
『あそこへ行きたい!』っていう思いの方が強かった。
行きたい、会ってみたい。
その思いだけが強烈にありましたね」
ドアの向こう、まだ見ぬ先へ。
行きたい。行こう。行くのみだ。
そこで彼は、バイク事故で頚椎を損傷して、
首から下を動かせない青年と出会う。
「20歳までは元気だった人なんです。
だからその障害をどう受け止めているのか、
単刀直入に聞いてみたんですね」
するとその人は言ったという。
「受け入れないとしょうがないでしょう」。
「自分はこうなったんだから、
その中でできることをやるしかないよねって、
淡々と言うんですよ。
自分にできないことを手伝ってもらいはするけど、
自分の人生を人に託してるわけじゃない。
自分の人生は、自分が舵を切る。
すごく主体的な生き方をしているんですね。
自分はこの人と一緒に歩んでいきたいと思った」
その人とはその後20年近く、
交流があったという。
「彼は身体が不自由で、生き方が自由。
僕は身体が自由だけど、生き方が不自由。
その、互いの強みと弱みをかけ合わせて、
ギブアンドテイクでやってた感じですね」
障害者と健常者――という言い方が嫌いだと彼は言うが――、
その両者の共存を目指すボランティアに、
彼は足繁く通うようになる。
「ごく当たり前の、恋愛の話とか、
結婚の話とか、将来の夢について話したり、
飲みに行ったり、カラオケに行ったり」
今まで自分の内側にばかり目を向けて生きてきた世界から
身体に困難さや不自由さを抱えていても心は自由で縛られない彼らの生き方に
いつしか心を開いて自分らしさと自分の居場所を見つけていることに気づき始めた。