起立性調節障害の子たちの母、仕事をどうするかで悩む | 起立性調節障害の子どもたちを見守るだけの生活

起立性調節障害の子どもたちを見守るだけの生活

起立性調節障害(疑い)の女子大生
起立性調節障害(診断済)の男子高校生 

思いつくまま綴っていますので、
時系列はバラバラです。
雑談がメインのため、役に立つ情報はあまりありません。

自分自身の最大のテーマは、

子育てしながらいかにして仕事を続けていくか、

ということでした。

夫は激務、周りに気軽に頼れる人はいない私は

細々とパート勤務を続けていました。

 

朝7時40分に子どもたちを車に乗せ幼稚園に行き、

早朝保育へお願いしました。

その後長男を託児所に預けていました。

その後、学童保育や保育園にお世話になりました。

幸いなことに、登校登園した後の体調不良はほとんど無く、

急なお迎え要請はほぼありませんでした。

 

長女が中学生時代に体調不良になり、

最も悩んだのが、

この子を置いて仕事に行くのかどうか?ということでした。

自分が不在の間、倒れるんじゃないか?

階段から落ちたらどうする?

そもそも体調不良の子がいるのに休めないの?

と、自問自答していました。

自宅近くの職場に転職していたため、

昼休みに様子を見に帰ることができました。

長女と入れ替わるように長男がダウンし、

昼休みに必死に自転車を漕いで自宅まで往復する日々が

続きました。

 

長男がダウンしたのは私が正社員になった同じ月でした。

長女が元気に大学へ通いだし、すっかり安心していた

タイミングでした。

職場は協力的でしたが、

仕事をしていては通院予約もままなりませんでした。

長男の病状は長女よりも重いものでした。

長丁場になることは経験から分かっていました。

もうこれは、どうにもならない、

追い詰められた私は仕事を手放すことに決めました。

 

そうして1年以上、

家にいて長男と向き合う生活を送りました。

正午を過ぎても眠っている長男と過ごす日々は

想像以上に苦しいものでした。

同級生の友達が、学校や塾でたくさんの体験をしている間、

自分の子どもはただひたすら眠っているのです。

中学校の先生や塾とのやり取りもストレスとなり、

具体的な治療をしてくれる医療機関もありませんでした。

夫の無理解も悩みの種でした。

 

当時の私は、身体面でも精神面でも疲弊していました。

いろいろなことに対しマイナス思考になっていきました。

 

このままでは自分自身の精神が持たない、

家にいては、長男の起きる時間が気になって仕方がない、

将来どうなるのかなんて、悩んでいても仕方がない、

よし、働こう!

少しでも良いから外にでよう、

そう決めた私はさっそく求職活動を開始しました。