思い出してみるとシリーズ「挑戦したかった夢・そして諦めた事・・1」 | 酒井淑恵のブログ

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年齢を重ねる毎にやる事を増やすのではなく、減らしていく。
どなたも再現できるシンプルで豊かな美しさのレシピを綴ります。

随分と長いシリーズになっておりますね。
書き始めると思い出す事が沢山で驚いております。

With-Bright誕生ストーリー1
With-Bright誕生ストーリー2
With-Bright誕生ストーリー3
挫折ストーリー1
挫折ストーリー2

挫折からの復

挫折から立ち直り、着物文化事業に懲りもせず関わっていた
私ですが、これには理由があります。

着物は日本が世界に誇る文化であり宝でございます。
同時に伝統文化を守りながら革新を繰り返し先人達が必死で
守ってきた大和魂、日本文化の源流があると私は知ったのです。

数百年と続く京都の老舗、表に出る事なくただひたすら影で伝統を
受け継ぎ守り抜く職人の皆様・・・

先人の知恵を現代に呼び覚ましたいと必死で再現を試みる
若手アーティストの方々

私に何か出来る事は・・・
日本は文化的には世界に尊敬され誇るべき源流が脈々と受け継がれて
おります。

私達が立っている今の時代、その前にも先人の培った道があり
そして、その先の未来にも道は繋がるわけです。

そうであれば、未来の道の為に私達に何ができるのか・・・
そんな事を真剣に考えさせられた着物文化との出会いでございました。

オフィスサカイのビジネスとしては、プロ養成やセミナーを順調に行い
私は復活後は、着物文化の世界はビジネスではなく、ライフワーク
として取り組みました。

そして、この世界に誇れる日本という国のこころ、先人が守り続けた想い
を現代女性に分かりやすく伝えられる方法はないかとずっと考えて
おりました。

そうすると、またしても大きな出会いがありついに私の夢であった
世界に発信できる日本女性を育てる事を目的とした
新世代女性塾「ヴィーナスコム」を発足できたのです!!

当然のことながら、私の小さい小さい力・人脈では無理でしたが
何故か日本の文化人・経済界にかなりの影響力を持つ女性が私を
パートナーに選んで下さり私のやりたかった夢の第一歩を踏み出した
のでございます。

その方がトップの塾頭、私がプロデュサー的役割の塾長でした。

ただ、この影にはあのクチュールサロンで頂いたご縁が本当に大きく
日本文化を世界に発信、プラスそれができる女性の育成この2つ
を核としスタート致しました。

世界に通じる堂々とした日本女性でございますね。

まず自然染色家伊豆蔵明彦氏、とのコラボイベントを
ヴィーナス・コムが国際交流としてプロデュースする事から
スタートいたしました。

伊豆蔵氏は京都西陣で何代もの続いた帯の旧家の継承者
です。

獣のいのち 虫のいのち 草木のいのち
その命を頂き、人間は衣を着る事ができる。
“いきること”は“衣着ること”

捨てるところはない・・
全ては自然の循環。。


その生きとし生きるもの。。という意味の深さに私は
自分の薄さに愕然とし、同時にただ感動しました。

これが、、始まりでした。

 
 (2004年5月に行われたヴィーナスコム国際交流イベントで着用した
伊豆蔵氏の布です。
これは、ドレスではなく一枚の布を私がアレンジしドレスにしました。
捨てるところが何もない、自然の命だけで作られた美しい布でした) 


ヴィーナスコムは、最高顧問に宇宙物理学博士であり、
NASAのチームメンバーでもあった長谷川晃博士を迎え
文化力発信・美の探求と体現をテーマに始動しました。

世界に通じる文化力の高い日本女性育成の為の勉強会も各分野
の先生方にご協力頂き同時に開催致しました。

学ぶだけではなく、必ず体現の場として国際交流、文化発信のイベントを
企画し生徒さんたちと行いました。

これは2回目のイベントです。
 
 

これが・・・予想をはるかに上回る大変さであり、同時にオフィスサカイの
大切な生徒さんたち、支援者をどんどん巻き込んでいくのでした~~。

本当に生徒さんたちは、私をただ信頼下さり、無茶難題をこなして
下さいました。

ただ、これは生徒さんをある意味私のしたい事の犠牲にしていたのです。

そして一番大きな規模と責務で行われた3回目のヴィーナルコム
の国際交流イベントが「2005/6日本におけるドイツ年」
でございました。


2005年に京都随心院で開催されたこのイベント・・・
ドイツの舞踏大学パルッカ・シューレ・ドレスデンを迎えての国際交流です。

この準備に約半年かけました。
詳細はブログに書ききれません。いえ、書けません!!

この時ご協力頂いた方は今は亡き当時文化庁長官河合隼雄先生
当時環境大臣の小池百合子氏・ツトムヤマシタ氏等

寄稿も頂きました。

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多くの職人さんのご協力で作って頂いた貴重な布・帯をドイツに送り
パルッカシューレ大学の学生ダンサーの衣装としたのです。

ドイツと日本、伝統と現在の融合でございますね。
ダンサーたちの個性的な衣装のお写真がなくお着物だけご紹介します。

着物は私が全てデザインし職人さんに作って頂きました。

 
日本レディのドレスは2枚の布をドレスにして、帯は薔薇のように
まとめました。一か八かでできたスタイルでございました。
人間やればできるものです。

 

本当に美しかったです。音楽は東儀さんの「ふるさと」でした。
音楽は、最初サラブライトマンをセレクトしてましたが、ドイツダンサーがNO!!で
当日に日本らしい曲が良いとダンサーが選んで下さいました。
その気持ちが本当に嬉しかったですね。

 
  

私はこのイベントであらゆる事をしました。
その為、終わった後は放心状態だったのか
何かこれまた覚えておりません。

ただ、燃え尽きた気がします。

私の夢の実現であった新世代女性塾ヴィーナスコムは、私自ら終止符を
打ったのです。


もう長くなりましたので次回にお話致しますね。
本日もお読み頂き有難うございました。

酒井淑恵