★精進湖村廃校利活用のアイディア1 =平和の学校= | 来日旅行者おもてなし活動で、世界中に友達つくろう!

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国籍気にせず友達づきあい楽しむ仲間 『WISH CLUB』 ブログ

facebookを通じて世界の仲間に求めたアドバイスの中に、「学校だったんだから、学校として使えば?」という声がタイの友達からありました。

 

My idea is to make the school to be school again. There might be language classes for foriengners to study Japanaes langauge, food, snackes, sake, drinks, costumes, kites , toys or anything that locals can share. At the same time forigners can teach English, other languages, food, etc to locals and other foriegners.

(私のアイディアは、学校として再活用すること。外国人向け日本語教室、和食料理、酒・調味料、服飾、伝統的な遊びなど、地元の人たちと分かち合えるものならなんでもいい。同時に訪れる外国人から言語や母国料理について学ぶ場所にもなるでしょう。)

 

もともと教育のための施設だったのですから、生徒は変われど、そのために利用されることは自然なことかもしれません。

 

当然、常識的に考えたら、「田舎で不便だから廃校になったわけだろう。それをどうやって人を呼ぶんだ?」と、ネガティブな意見が先行することでしょう。

 

ただ、彼の文章を読んでいて、アルバート・アインシュタイン博士の言葉を思い出しました。

 

Education is what remains after one has forgotten what one has learned in school. The aim must be the training of independently acting and thinking individuals who see in the service of the community their hightest life problem.

(教育とは、学校で学んだことを一切忘れてしまった後に、なお残っているもの。そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、考え行動できる人間を育てること、それが教育の目的といえよう。)

 

つまり、何を学ぶ(どんな授業を行う)のかも大切ではあるけれど、その存在(世界の縮図でもある環境)により、人類の平和・協調への現実的アクセスについて考え、行動できる人間を育てる場と成り得ることが、最も肝要ではないかということです。

 

またアインシュタイン博士の残した別の言葉に、こんなものがあります。

 

Peace cannot be kept by force; it can only be achieved by understanding.

(平和とは、力で保たれるのではない。理解によってのみ得られるのである。)

 

この言葉を真実と仮定するならば、ひとつの地球に住む様々な国籍を持つ人々が理解しあうには、教育機関であることはさておき、世界の縮図となる場をつくることは、平和維持の必須の要素ではないでしょうか。