左右対称の構造がきものの特徴ですが、これによって混乱しがちなのが、衿合せだと思います。

花火大会で、男性はお洋服、女性は浴衣姿のお二人が屋台で私の前に並んでいました。女性の浴衣姿は左前になっていて、ああっ…(-"-;汗、と気がついたのですが…、指摘するのは、楽しい状況に水をさすようなものなので、あえて視線をあわせないようにしておりました。

すると男性の方から「あのー、彼女の浴衣は変ですよね?」と話しかけられました。聞かれたらお答えしないわけにもいきません。「その着方は左前といわれるもので、衿合せが逆です。時間と場所があれば着付けをし直してあげたいけれど…、ここではできないので、もうじき暗くなるから今夜は花火を楽しんで、次から必ず右前になるようにこうして着付けましょう~」ということをお話しました。

彼女はネットで検索しながらご自分で着付けたとのことで、ネット上にはこういう着方の人もたくさんいるとおっしゃいます。えっ、そんなことが…(=◇=;)?

混乱を招いている事例のひとつが、ブログ、twitter、facebookでの鏡をつかった自撮り写真の投稿。写真を反転させている方もいらっしゃいますが、させる人がいたり、いなかったりというのも、きものを知らない人からしてみたら、右前と統一されているものではないと誤解する要因となります。左前を見慣れてしまうことで、左前の着姿に違和感がなくなってしまうということもあると思います。

あえて鏡越しに自分の着姿を写り込ませて撮影してみました。左前になります。文字が写りこんでいれば、鏡越しの撮影だということがわかりますが、そこまで注意深く見ない人がいるから生まれる誤解があるということです。


和装は、男性も女性も、浴衣でも着物でも、右前に着装します。

自分で着付けをする時は、右手に持っている衿の先を自分の身体に合わせてから着る。右側が自分にとって身体に近いほう、手前(先)にくるから「右前」です。

男性は洋服のあわせ方と同じですが、女性は逆になります。

●右前の衿合せは相手から「y」の字に見えます。

右手が懐に入るので、右利きの人は懐からモノを取り出しやすいという利便性もあります。


そもそも、なぜ左前はいけないのか?

古代の埴輪や高松塚古墳の壁画には左前の着装がみられますが、日本が大和政権による中央主権となり、税制を整え律令を取り入れ、律令国家として成立していくにあたっては、古代中国からの影響を多分に受けています。古代中国では、北方の騎馬民族が馬で弓を射るために左前の装束を着ていたことから、左前は野蛮であるとされていました。※諸説あります。 孔子の「論語」の一節には「四夷左衽」という言葉があり「左前は野蛮人の風習」という意です。

日本では、719年(養老3年)に元正天皇によって発令された衣服令から、きものの衿合せは右前に統一されます。これが右衽着装法です。続日本書紀に「初令天下百姓右襟」(天下百姓をして衿を右にせしむ) とあり、「天皇から百姓まで、衿合せは右衿を先にあわせなさい」という意です。この衣服令を境として、きものは右前に着ることが習わしとなり、今に至っているのです。

左前は仏式の死装束である経帷子の衿合せです。生前とは逆の衿合せをして死後の世界へ送りだすものですので、左前は忌まれ縁起が悪いとされます。花火大会はお盆の時季にあることが多いため、さらに連想させるかもしれません。

左前について「常識」の一言で糾弾してしまう方がいらっしゃいますが、多くの日本人がきものを着ることが滅多に無い状況となってしまったのですから、小馬鹿にするのではなく、何度でも丁寧に伝えていくことが必要だと思います。大人になってからこういった間違いを公の場で指摘されるのはキツイものです。これからのきもの振興を考えるなら、幼児教育からきものの基礎知識を学ぶ機会を取り入れていくことを切に願います。

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